高瀬川河川事務所50周年

高瀬川直轄管理50年の歩み


事業の歴史

治水事業の沿革

高瀬川水系の近年の治水事業は、昭和7年に青森県が高瀬川(七戸川)の計画高水流量560m3/s とし、高瀬川(七戸川)、坪川及び赤川の改修を実施したことに始まります。
高瀬川の河口は、偏東風や高潮の影響により閉塞しやすいため、改修着手以前から地域住民による浚渫が毎年のように行われてきました。戦後、高瀬川右岸の天ケ森あまがもりに米軍の射爆撃場が設置され規制区域となったことから、住民による維持作業が不可能となりました。昭和33 年9 月の台風による洪水では、河口閉塞の影響と相まって、湖水位がTP+2.79mまで上昇し、死者3 人、負傷者17 人、家屋の全半壊・流失・床上床下浸水約3,000 戸と甚大な被害が発生しました。
この洪水を契機に青森県による治水計画の改訂がなされ、小川原湖の計画高水位をTP+1.57m、高瀬橋地点における計画高水流量を400m3/s とし、このうち250m3/sは放水路を開削して分流する計画が立てられました。この放水路の開削工事は青森県が昭和37 年から着工し、防衛施設庁の障害防止対策工事として施行し、昭和52 年度に竣工しています。この間、昭和44 年5 月に閣議決定された新全国総合開発計画において、むつ小川原開発の位置づけがなされるなど、流域の社会・経済情勢の変化に対応して、昭和47 年4 月に高瀬川水系が一級河川に指定され、小川原湖33.7km、高瀬川6.4km、計40.1km が直轄管理区間となりました。
これに対応して、昭和52 年8 月に閣議了解されたむつ小川原開発第二次基本計画との調整を図り、計画高水位をTP+1.70m、高瀬橋地点における計画高水流量を1,400m3/s とする高瀬川水系工事実施基本計画を昭和53 年3 月に策定しました。この計画に基づき、小川原湖の湖岸堤を順次整備してきました。




むつ小川原開発計画

昭和44 年5 月に決定された新全国総合開発計画において、むつ小川原開発が位置付けられました。その後、昭和46 年3 月むつ小川原総合開発会議が設置され、昭和47 年9 月にむつ小川原開発第1 次基本計画、昭和52 年8 月にむつ小川原開発第2 次基本計画が閣議了解され、六ケ所村から三沢市に至る臨海部の大規模工業基地建設が位置づけられました。これら新たな水需要に対応するため、昭和53 年12 月に小川原湖総合開発事業計画を策定し、河口堰の建設による小川原湖の淡水化によって、周辺地区の新規かんがい用水, 水道用水, 工業用水、並びに既得用水の安定化を図る計画が進められてきました。
しかし、工場立地の海外シフトなど産業経済活動のグローバル化、国際競争の激化など社会情勢の変化にともない、「小川原湖総合開発事業審議委員会」において小川原湖総合開発の現状と課題を整理し、新たな開発の方向性を検討した結果、平成8 年11 月に「小川原湖淡水化撤回」の意見が出されました。また、平成14 年11 月までに小川原湖総合開発事業に参画している国営及び県営のかんがい用水、上水道、工業用水道については、利水要望(かんがい)、ダム使用権設定申請(上水道、工業用水道)の取り下げが行われ、平成14 年11 月東北地方整備局が設置した事業評価監視委員会において小川原湖総合開発事業の中止が妥当と判断されました。これを受けて平成14年12 月国土交通省は小川原湖総合開発事業の中止を決定しました。なお、治水対策は引き続き国土交通省において実施することとしました。


むつ小川原開発対象地域

むつ小川原開発の経緯


安全と安心の確保

小川原湖は縄文時代後期に形成された海跡湖です。
このため、湖周辺の地形が低く、洪水が発生すると浸水しやすい地形となっています。
高瀬川水系の治水事業は、昭和7年に青森県が高瀬川(七戸川)の計画高水流量を560m3/s とし、高瀬川(七戸川)、坪川及び赤川の改修を実施したことに始まり、その後、甚大な被害を受けた昭和33年9月洪水を契機とした青森県による放水路の開削工事が行われました。
昭和47 年4 月に高瀬川水系が一級河川に指定されてからは、昭和53 年3 月に策定した高瀬川水系工事実施基本計画に基づく、小川原湖の湖岸堤を整備してきました。
しかし、小川原湖は水位の低下に要する時間が長く、一旦水位が上昇すると長期間洪水が継続するため、湖上流の支川流域で内水被害などが発生しやすくなります。近年では、平成2 年及び10 年等の洪水により被害が発生しており、湖岸堤の整備を図るとともに、抜本的な湖水位上昇の抑制対策が必要となっています。


小川原湖の形成


高瀬川水系では、渇水被害は発生しておらず、安定的な取水が確保されています。
しかし、今後渇水が起こり、取水の障害が発生することが予想される場合には、円滑な水利用の調整を図っていく必要があります。


洪水対策

1) 堤防の整備

① 堤防の量的整備
現在(令和4年3月)、小川原湖における堤防の整備状況は、整備が必要な延長9.0kmに対し、全て整備済みです。
また、高潮堤防(平沼地区)の整備状況は、整備が必要な延長1.6kmに対し、全て整備済みです。




② 堤防の質的整備
古い堤防には材料構成や地盤の構造が必ずしも明確でない場合もあり、場所によっては堤防の安全性が確保されていない場合があります。その一方で、堤防整備により、堤防背後地に人口や資産が集積している箇所もあり、堤防の安全性の確保がますます必要となっています。
このように、堤防及び地盤の構造は様々な不確実性を有し、漏水や浸透に対して構造物的信頼性が必ずしも高くない場合があることから、堤防が完成している箇所においても安全性の点検を行い、機能の維持及び安全性の確保を図るため、必要に応じて堤防の質的整備を実施していく必要があります。


2) 河道の管理

① 湖水位上昇の抑制
高瀬川河口部は米軍規制区域となっており、河口閉塞に伴う浚渫が困難なことから、小川原湖に流れ込んだ洪水を太平洋へ流すため、放水路の開削工事が昭和37 年から着工され、昭和52 年度に竣工しました。
現在、高瀬川放水路は青森県が管理し、洪水時は高瀬川本川と放水路を通じて洪水流が海へと流されています。
しかし、放水路の流下能力は十分とはいえず、戦後最大洪水である昭和33 年9 月洪水と同規模の洪水が発生した場合は、小川原湖の水位が上昇し、周辺に浸水被害が発生することが懸念されます。このため、抜本的な湖水位上昇の抑制対策が必要となります。

現在の高瀬川放水路の状況


② 河口の管理
高瀬川の河口は偏東風や高潮の影響により閉塞しやすいため、昭和7年以降の青森県による高瀬川(七戸川)、坪川及び赤川の改修着手以前から、地域住民による河口部の浚渫は毎年のように行われてきました。
しかし、戦後、高瀬川右岸天ヶ森に米軍の射爆撃場が設置されたことにともない、住民による維持作業が不可能となり、昭和33 年9 月の台風による洪水では河口閉塞の影響と相まって甚大な被害が発生しました。
近年も、数年に一回程度河口閉塞が発生しており、今後も河口の状況を監視し、必要に応じて河口閉塞対策を行う必要があります。

高瀬川の河口閉塞対策の経緯


近年の河口閉塞の状況


③ 河道の管理
経年的な土砂堆積によって、中洲の発達が進行すると、流下能力が低下し、洪水時の水位上昇につながります。また、出水による土砂堆積及び流木については、河川管理施設の機能に支障を及ぼす場合があります。このため、流下能力維持と河川管理施設の機能維持の観点から土砂撤去等の対応を図る必要があります。
また、河岸の浸食や護岸、根固工等の変状は、堤防の安全性低下につながるおそれがあるため、適切に管理していく必要があります。



【水辺整備】

① 仏沼地区水辺広場
小川原湖は、湖水浴場やシジミの遊漁場、ウインドサーフィン等水辺や水面を利用したレジャーや自然体験活動の場として重要な空間となっています。
近年では水辺の利用者が増加傾向であり、湖の美しい自然や景観、開放的なオープンスペース等が親しまれています。また、未来にわたって地域に親しまれる小川原湖の空間利用を推進していくために、安全点検や水辺のレジャースポット、環境学習の結果等を情報発信していくと同時に、自然体験活動や環境学習が出来る場の保全、小川原湖の美しい水辺景観の維持・保全に努める必要があります。
以上を踏まえ、「高瀬川水系河川整備計画」の基本理念に基づき、水辺整備を実施しました。



② 小川原湖
小川原湖の水環境の保全に係わる対策を効果的に進めるため、国・県・流域市町村からなる小川原湖水環境技術検討委員会を設置し、水環境整備事業に関する全体事業計画を定めた「小川原湖水環境改善計画」が平成25年2月に策定されました。
「小川原湖水環境改善計画」に基づき、青森県や流域市町村が実施する流域対策・流入河川対策と連携し湖内の負荷削減対策として、覆砂、養浜、ウエットランド等を計画、実施しています。