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歴史

ダム建設の現場にせまる 〜日本人だけの手による、日本で最初のアーチダム〜

完成当時の鳴子ダム

宮城県の大崎市鳴子にある鳴子ダム。建設省が江合川につくったこのダムは、洪水に備えたり、田畑を潤したり、電気をおこしたり、たくさんの目的のためにつくられたダムです。昭和27年から工事がはじまり、約6年かけて昭和32年10月に完成しました。

鳴子ダムは、東北で初めてのアーチダムです。そして日本で初めて、日本人だけでつくったダムとして有名です。それまで日本でダムをつくる時は、外国から技 術者を呼んで、設計する時や工事をする時に、いろいろと指導してもらっていたのです。それだけに鳴子ダムの建設には、全国から優れた日本人技術者を集め、 考えを出しあってつくりました。

鳴子ダムがつくられたところは、ずっと昔から雨が多く、強い雨が降り続くと、江合川はすぐに水があふれて洪水になり、人々は大きな被害を受けていました。 鳴子だけでなく、江合川の下流の岩出山や古川などまで、その被害は広がっていたのです。明治43年の大雨では、関東から東北までたくさんの所で水害が起こ りましたが、宮城県では特に鳴子地区の被害が大きく、たくさんの人が死んだり、行方がわからなくなったりしました。そのため大正6年から江合川の改修が行 われるようになりました。

ところが昭和22年にカスリン台風、23年にはアイオン台風、24年はキティ台風と続き、25年に激しい雨が降り、江合川沿いの町は、これまでにないほど の大きな被害を受けました。そこで国では、洪水に備えて江合川に堤防をつくると共に、電気を起こし、田畑に水を送ることにも利用できる多目的ダムの建設を 決めたのです。

昭和26年に調査が始まり、いろいろな試験や準備をして、27年から工事に取りかかりました。そして6年後の昭和32年、たくさんの人々の知恵と努力によって、その頃の日本で最も進んだアーチダム、鳴子ダムが完成しました。

それでは鳴子ダムができる前の洪水の被害、ダムをつくっているときの工事の様子、そして完成してからの暮らしの移り変わりなどを詳しくご紹介します。