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歴史

鳴子ダムの完成の様子

昭和32年、人々の熱い思いが実り、鳴子ダムはその雄大な姿を現しました。

昭和32年10月4日 試験湛水
昭和32年10月4日 試験湛水

昭和32年4月5日、ダムに水が入れられました。ドドーッという音を響かせながら、勢いよくダムの底に流れ込んでいく水を見て、工事を行った人たちはみんな、胸が熱くなるのを感じていました。

「やった、ついに完成した!全部、私たち日本人の手でつくったのだ。」

誰もがそう、心の中でつぶやきました。

思い出すといろいろな事がありました。たくさんの人がこのダムの工事に関わりました。ダムの側に仮の宿舎をつくって、みんなそこに泊まりこみながら工事を 進めていったのです。中には残念ながら完成した姿を見ることなく、思いがけない事故で死んでしまった人もいました。それだけに、青々とした水がダムの底か ら少しずついっぱいになっていく様子を見て、大きな感動がこみ上げてきたのです。

4月10日からは、新鳴子発電所も水を通しはじめました。東北電力としては宮城県で一番大きな水力発電所です。このダムが完成したことによって、鳴子町は もちろん、その下流の岩出山や古川など江合川沿いの市や町は、新しい時代を迎えようとしていました。

「これでやっと、あの恐ろしい水害はなくなる。雨が降っても、洪水の心配をしなくて済むんだ。」町の人々もみんな大喜びで、ダムの完成を祝いました。

水が入ってから半年後の10月3日。ダムが出来て人工的につくられた荒雄湖の水面には、もえるような山の紅葉が映っていました。そこには遊覧船も浮かんで いました。この素晴らしいダムと山々の美しい紅葉を見に来たのでしょう。たくさんの観光客の笑顔をのせて、かろやかに水の上をすべっていきます。そうで す。鳴子ダムは、鳴子町の観光の大きな目玉にもなったのです。

またダムが完成した後には、国道108号も整えられました。この道路は冬になると、雪が深くて道がふさがってしまい、その奥の鬼首へは歩くか馬ぞりでしか 行けなかったのです。でも道路が整えられてからは、車で安全に通れるようになりました。このように鳴子ダムは、地域と地域の間を近づける役目も果たしてい きました。