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ホーム > 「かわ」の広場 > 河川資料集 > 岩木川治水80周年記念誌「津軽平野と岩木川のあゆみ」 > 流域の人々と水利用

 岩木川本川の上流部には目屋ダム、平川では久吉ダム(県)等、浅瀬石川では浅瀬石川ダム等により洪水を調節し、発電をしながら上水道の水源として、また、農業用水の安定した供給を行い、水の有効な活用を進めています。
  近年、目屋ダムではその容量が小さいことから、渇水時の水不足や河川の維持流量の確保が困難な状況が頻発し、水不足の問題が話題となっています。流域の水利用の「いま」がどのようになっているか、水道用水、農業用水の現況について紹介します。

水道用水

水道用水として岩木川水系に依存している市町村は、下表のとおりとなっており、その給水人口は、約421,000人にのぼります。
  浅瀬石川ダムでは、弘前市を含め3市6町2村、久吉ダムでは、大鰐町・碇ヶ関村、また、岩木川などから直接取水している市町村は、2市2町2村となっております。

名  称 取水量(・/s) 水源種別 取水方法 河川名
弘前市水道 0.347 表流水 堰上取水 岩木川
五所川原市水道 0.09  〃 ポンプ取水  〃
木造町水道 0.023  〃  〃  〃
稲垣村水道 0.0278  〃  〃  〃
津軽広域水道 1.328 浅瀬石川ダム ダム直接取水 浅瀬石川
大鰐町水道 0.0173 表流水 ポンプ取水 平川
碇ヶ関村簡易水道 0.0104  〃  〃  〃
久吉ダム水道企業団 0.00898 久吉ダム ダム直接取水  〃
1.8525      

注)津軽広域水道構成市町村:弘前市、黒石市、五所川原市、藤崎町、尾上町、浪岡町、平賀町、常盤村、 田舎館村、板柳町、鶴田町      
久吉ダム水道企業団構成市町村:大鰐町、碇ヶ関村

浅瀬石川ダム浅瀬石川ダム

 この水道水も、必ずしも安定的な供給とはなっておらず、昭和63年8月の渇水においては、給水制限を実施していた弘前市に試験湛水中の浅瀬石川ダムから緊急給水を行うなど未だ不安定な状況にあります。
  平成3年に建設に着手した津軽ダムでは、左表の弘前市、五所川原市、木造町、稲垣村、碇ヶ関村、大鰐町に加え、新たに森田村、柏村、車力村、市浦村の上水道用水を供給する計画となっており、また、慢性的な水不足に悩まされている農業用水の安定供給及び岩木川が川本来の姿を取り戻すため、早期完成が望まれています。

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農業用水

 岩木川の左右岸にはもう一つの川があると言われる大きなかんがい面積をもつ農業用水路があります。右岸は五所川原堰と呼ばれ、左岸は土淵堰と呼ばれています。
  流域の主産業である水田耕作に必要な用水については、藩政時代から当時の為政者がその対策に苦労し、幾度となく繰り返される洪水で被災し、補修や改築等を重ねてきました。その用水堰にまつわる話として、「川崎権太夫」や「堰八太郎左衛門」が人柱となり、自らの命を捧げたことから神社を建て、その霊を祀り、毎年お祭りをしながら感謝の気持ちを今に伝えています。
  つい40年前までは、木材と石とを組み合わせた構造の堰のため、洪水のたびに災害を繰り返し、取水に困難をきわめ、多くの費用と時間をかけていました。
  現在は、優れた土木技術による堰の建設と数多くの水路の統廃合を実施して、下表のような施設が設置されています。

名称 取水量最大(・/s) 水源種別 取水方法 かんがい面積 (ha) 河川名
杭止堰頭首工 2.865 漂流水 堰上取水 837.0 岩木川
岩木川統合頭首工 17.922  〃  〃 11,162.90  〃
芦野頭首工 左 1.193  〃  〃 603.17  〃
〃(注水用) 1.518  〃  〃 762.81  〃
芦野頭首工 右 1.137  〃  〃 415.0  〃
〃(注水用) 2.562  〃  〃 935.0  〃
五所川原頭首工 8.941  〃  〃 2,697.22 平川
虹貝頭首工 1.273  〃 堰止取水 578.26  〃
平川第一頭首工 5.867  〃  〃 1,865.32  〃
三ツ目内頭首工 1.836  〃  〃 578.26  〃
平川第二頭首工 2.507  〃  〃 655.29  〃
引座川頭首工 0.879  〃  〃 251.72  〃
そ   の   他 0.691  〃  〃 194.9  〃
温湯頭首工 8.481 表流水及び補給水  〃 2,777.65 浅瀬石川
浅瀬石川第一頭首工 13.731 漂流水  〃 4,238.26  〃
浅瀬石川第二頭首工 2.155 補給水  〃 738.95  〃

以上の施設で取水しているかんがい面積は津軽平野の約70%近くの水田を占めています。

上記取水施設の中から、かんがい面積の大きい岩木川統合頭首工に合口された土淵堰と五所川原頭首工と名称が変わった五所川原堰について、その成り立ちや現在までに至った経緯などを紹介します。

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土淵堰(どえんぜき)

左岸用水路に代表される土淵堰は、設置された年代の古さと(3代藩主信義が正保元年(1644)に開削したとされている)かんがい面積の広さ、水路の長さ等から用水路の代名詞のように言われ、現在は上流に設置された岩木川統合頭首工にその取入れ口が合口され、前表には名前がなくなり、水路の名前だけが残されています。
  正保元年に設置された土淵堰は、現在の岩木川距離標左岸49.4km付近に取入口がありました。ところが、昭和33年の洪水で、その上流にある杭止堰、長瀬堰(土淵堰の前身とも言われている)、熊島堰等12ヶ所の堰が被害を受け杭止堰は単独に、あとの11ヶ堰は岩木川統合頭首工に合口され、網の目状態であった夫々の用水路も圃場整備事業と合わせ、統廃合しながらその流末は、稲垣村船越地区までとなっています。

岩木川統合頭首工 岩木川統合頭首工

五所川原堰

 岩木川に合流する平川には、五所川原頭首工が設置されています。当初の五所川原堰は4代藩主信政の時代に五所川原、鶴田地方の新田に用水を供給するため、元禄2年(1689)から3年の年月を費やして造られたと言われています。
  その取入口は平川右岸2.2km付近にあり、水路の延長も20.4kmに及んでいたと言われています。
  五所川原堰が完成したのは、元禄5年(1692)と言われ、この60数年後の宝歴10年(1760)には鶴田地方の用水を補うため、「枝川足水堰 (えだがわたしみずぜき) 」の開削が行われ、この二つの取入口は並んでいたと言われています。すぐ下流に大規模な「留締切り (とめしめきり) 」が造られたのが、五所川原頭首工の始まりと言われています。大正の終わり頃になって、この二つの取入口がコンクリートの水門によって造り替えられることになりましたが、この時、後で造られた「枝川足水堰」の方が大きく造られたということから、昭和4年に取水をめぐる大きな「水争い」がありました。
  当時の平川は、この取入口から下流が大きく蛇行しており、昭和10年の洪水では堤防が欠壊し、津軽地方に大きな被害をもたらしています。このため、昭和11年からこの曲がった川を現在の姿のように造り替えました。五所川原堰も他の堰と同様、長い間洪水による被害の繰り返しを続けていましたが、国営(農林省)事業として、昭和61年に五所川原頭首工として生まれ変わったものです。ここから取水される用水は、藤崎町、板柳町、鶴田町の水田にかんがいしながら、新十川をサイホンで横断し、五所川原市三好地区まで流れています。

五所川原頭首工 五所川原頭首工

津軽平野の用水源と取水施設の配置、かんがいされている地区別 の概要は下図のようになっています。

出典:青森県土地改良史

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