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青森工事事務所の沿革

 事務所の沿革は、大正7年河川改修事業を目的に当時の五所川原町に岩木川改修事務所が設置されたのが始まりで、昭和25年には国道5号(現7号)改修のため、青秋国道工事事務所が設置されました。その後昭和29年に岩木川工事、青森国道工事の両事務所を統合して津軽工事事務所と改称し、河川改修事業と国道改修事業を担当しました。昭和36年、第3次道路整備五ヵ年計画を機に、それまで津軽工事事務所と南部国道工事事務所で分離実施していた青森県関係の道路改修事業を統合し、青森国道工事事務所が新設されました。
  一方、津軽工事事務所は岩木川改修事業と昭和37年から直轄編入された陸奥湾沿岸の海岸保全事業を実施することとなりました。その後、昭和39年7月1日付け建設省令第20号建設省地方建設局組織規定の一部改正により、津軽工事事務所と青森国道工事事務所を統合、青森工事事務所と改称し現在に至っています。

 

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青森工事事務所の沿革

岩木川の治水事業

岩木川における治水事業は、藩政時代津軽藩において慶長14年(1609)「十川の改修」、慶長16年(1611)「大川堀替え駒越川一筋に直す」、正保3年(1646)広須村(現柏村)姥袋地内の「大川(岩木川)を堀替え」などが始まりのようです。その後、数多くの改修工事が進められてきましたが、近代治水事業の幕あけは明治時代になってからです。
  岩木川の水害に苦しむ津軽地方の住民は、再三にわたる県当局への陳情を繰り返した結果 、当時の県令山田秀典は中央政府に強く呼びかけたところ、政府は明治15年、内務省御雇工師オランダ人ローエンホルスト・ムルデンに十三湖を含め岩木川の調査を行わせましたが、工費が当時の県の総予算の三倍近くになり、着工に至りませんでした。
  明治35年から37年には、内務省仙台土木監督署が十三湖から平川までを測量調査させますが、明治43年に至り、全国の主要河川改修計画が第1回治水調査会に付議され、帝国議会の議を経て翌44年岩木川も第一期河川と認められ、国が直接工事を進めてよい河川となり、明治43年からは本格的な岩木川の測量が始まったのです。
  こうして大正2年までに全川の測量をほぼ完了させ、大正5年10月には、河川法に基づく施行河川として認められることとなり、同6年には大正2年6月洪水を基にした基本計画を決定しました。大正7年3月、当時の貴族院において工事費7百万円の予算で、10ヶ年継続事業として可決され、大正7年12月1日岩木川改修事務所が現在の五所川原市に設置されました。
  最初の工事箇所は、大正9年3月に着手した中川三好掘削であり、堤防工事は大正10年5月に着手した中川三好築堤です。大正15年には十三湖水戸口突堤工事に着手、当時の直轄施工区域は全域に亘って工事が展開されるようになりました。昭和15年頃までは、事業の進み具合も順調で、岩木川全体の堤防の形がみえるようになりました。この間、昭和5年4月には新十川、山田川に着手し、昭和11年には旧十川に着手しています。
  戦後、水戸口突堤工事の成功や目屋ダムの竣功、十三湖左右岸の囲繞堤を完成させながら、少しづつ治水の安全度を高めてきました。その後岩木川の治水計画も昭和33、35及び44年の大出水を契機に昭和48年3月、計画改定を実施し、昭和50年8月洪水により、平川を対象に直轄河川激甚災害対策特別緊急事業が採択され、さらに、昭和52年8月洪水を契機に「岩木川緊急施工計画」を策定し、それに基づき昭和63年度まで大規模な河道掘削等を行い、治水安全度を大幅に向上させました。その後、昭和63年には浅瀬石川ダムが完成し、流域の農業用水の安定取水と津軽地方一円の水道用水が確保されています。
  しかし、未だ岩木川の治水の整備水準は低く、平成9年5月洪水においては、中流部のリンゴ園等多大な被害を受けました。また、一方で、流域面積に比べ、かんがい面積割合の大きい岩木川は、毎年のように渇水が発生しており、このような状況下、津軽ダムの早期完成と中流部の無堤部の解消、弱小堤防の早期完成が望まれているところです。

主要な改修の経緯

年号 事項
江戸時代   新田開発が進められ、部分的改修や災害復旧程度
明治時代 明治15年 内務省御雇技師ローエンスホルスト・ムルデン十三湖地帯調査
(1868〜1911) 明治29年 河川法制定
  明治35年 十三湖より平川まで測量調査
  明治43年 内務省大久保技師調査復命書を内務省に提出
県議会岩木川治水建議書を政府へ提出
  明治44年 岩木川国直轄改修河川となる
大正時代 大正5年 河川法施行、河川に認定される
(1912〜1925) 大正6年 治水計画完了
  大正7年 内務省岩木川改修事務所を五所川原に設置
  大正10年 直轄改修起工式
  大正15年 十三湖水戸口工事着工
昭和時代 昭和21年 右岸囲繞堤着手
(1926〜1989) 昭和35年 目屋ダム竣功
  昭和41年 岩木川工事実施基本計画決定(岩木川一級河川に指定)
  昭和48年 岩木川工事実施基本計画第1回改定
  昭和50年 激甚災害対策特別緊急事業採択
  昭和53年 緊急施工計画策定
  昭和63年 浅瀬石川ダム竣功
岩木川工事実施基本計画第2回改定(計画高水位、計画横断形についての部分改定)
平成時代 平成元年 河川改修計画一部変更
(1990〜 平成3年 津軽ダム建設着手
  平成6年 岩木川工事実施基本計画第3回改定(ダム名等の記載部分にかかる部分改定)
  平成9年 河川法一部改定(環境の整備と保全、地域の意見を反映した河川整備の計画制度の導入等)

 

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昭和・平成期の治水事業

岩木川下流部

撮影 時期 :昭和36年12月 撮影 場所 :左岸側…稲垣村豊川付近。右岸側…五所川原市藻川付近。 当時の状況 :河道が狭く、しかも蛇行が著しく水害の常習地帯。 改修の履歴 :左岸堤防…大正15年8月着手、昭和4年9月竣工。右岸堤防…大正12年8月着手、昭和4年3月竣工。当時は蒸気機関車で土を運搬し、堤防を築いた。軟弱地盤のため、工事途中で盛土が陥没することもしばしばあった。 記事 :県道蒔田・五所川原線沿いの小さな沼は、旧堤の破堤した痕跡。(藻川の林っこ跡)…民謡「弥三郎節」の「藻川のはやしっこ」と歌われた箇所。

撮影 時期 :平成8年4月 撮影 場所 :上部写真撮影と同じ箇所。 現在の状況 :左右岸の高水敷は、稲垣村、五所川原市の河川公園として人々が利用。 改修の履歴 :流下能力向上のため低水路の蛇行部を解消し、低水路の拡幅(浚渫工事)を 平成4年から平成8年まで実施。 記事 :小野忠造…岩木川の治水運動の先駆者。

撮影 時期 :平成4年9月 撮影 場所 :上部写真撮影と同じ箇所。 現在の状況 :堤防が築造され、弘前市の発展の様子が一目でうかがえる。城北大橋は昭和55年3月に架設された。右岸高水敷は、運動場、市民ゴルフ場、親水護岸、桜づつみが整備され、また、 左岸高水敷は、カワセミが営巣し美しい姿で市民の心を和ませている。 改修の履歴 :左岸堤防…昭和55年9月着手、平成7年2月竣工。右岸堤防…昭和39年6月着手、平成8年3月竣工。

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