羽州街道 藤崎

青森県(津軽)羽州街道  藤崎

藤崎町へ

藤崎町は、青森道の最初の宿駅「藤崎宿」で、津軽安東氏の発祥の地として知られている。

 藤崎は平川と浅瀬石川が合流する右岸に開けた津軽平野の中心部で、舟場があった。

 舟場があった平川はやがて岩木川となり、十三湊へつながる水運だった。

 また外ヶ浜方面の羽州街道が連結し、まさに水陸交通の要所であった。
 
 ちなみに平川は、岩木川・浅瀬石川と並ぶ津軽の三大河川の一つである。
今も名残の残る平川の渡し 舟場という地名が残っている
平川に架かる平川橋 平川橋から仰ぐ岩木山
 
 平川橋を渡って藤崎十字路の手前の小路を入り、称名寺前を右に折れると八幡宮につきあたる。
 
 そこで出合う
国道339号が街道筋である。
 
国道7号から(下り車線)から
右に曲がり、八幡宮へ通じる小路
八幡宮手前にある称名寺(稱名寺)
称名寺の山門 本堂までは松並木が続く


藤崎八幡宮

街道を含むこの一帯に藤崎城があった 八幡宮は藤崎城の鎮守だった
国道7号バイパスから見ることができる
藤崎城の本丸・西丸の原型は留めてないが
唯一残された土塁の跡
様々な石碑があり
中には「安東氏顛末記」の碑も残されている

 藩政期、藤崎村は周辺諸村を束ねる藤崎組の中心であった。
 
 現在、藤崎町に残されている寺院や史跡がそれを物語っている。

真蓮寺

「藤崎城跡」から少しへ進むと街道沿いに見える真蓮寺
この山門は「大浦城」の裏門を移設したものという

法光寺

法光寺がある場所も藤崎城内の一部
現在の市街地が入るほど広大な城郭であった

 旧道から少し外れたところに「唐糸御前史跡公園」がある。

 ここは、北条家の愛妾唐糸姫の菩提を弔った史跡である

唐糸御前史跡公園

唐糸御前の伝説を伝える公園 「ふじ」が発祥の「藤崎町」
リンゴ園の中に公園が建てられている

唐糸御前の伝説

鎌倉時代の執権北条時頼の寵愛を受けた唐糸姫だが、周囲の女性からの妬みに耐えられず、

 生まれ故郷の藤崎の地に逃れてきた。

 その後、時頼は執権を退いたあとに出家し、諸国を行脚することとなる。

 風の便りに津軽を訪れることを聞いた唐糸御前は、再会を期待した。

 しかし、見る影もなく衰えた自分の容姿を嘆き、池に身を投じ、自らの命を絶ってしまったのである。

 村人から唐糸御前の死を聞いた時頼は深く苦しみ、菩提を弔い、寺を建立させたという。

 この寺は、護国寺となり、その後、「唐糸山万蔵寺」と改められ、現在は弘前市の禅林街に移されている。
唐糸御前の銅像
心根の優しい、才色兼備といわれた女性
巨大な松の古木
ここに唐糸御前のお寺があった
左:延文4年(1359年)の板碑
右:唐糸御前の板碑
三基の五輪塔も保存されている
公園内は整備され、駐車場・トイレ・池・花壇・ふじの育成園などがある
 

 下町の奧にある堰神社は、藤崎堰の氾濫を食い止めるために人柱となった堰八郎左衛門が堰神として祀られている。

堰神社

浅瀬石川からの取水に藤崎堰はたびたび氾濫した
堰神社のそばを悠々と流れる用水路を泳ぐ
かるがもの親子
境内にあるご神木

 堰神社から少し先へ行くと鹿島陣社がある。

 このあたりは、馬継所や代官所があり、今も伝馬町と呼ばれている。

鹿島神社

もとは毘沙門堂
坂上田村麻呂開基の伝承を持つ
田村将軍が地面に刺した藤の鞭に根が生え
藤の花を咲かせたので、「藤咲村」になったという
宵宮が開かれると街の雰囲気が一変する
出店が立ち並び、多くの人でにぎわう夏の夜

保食神社

藤崎町銅屋森にある保食神社 街道からは少し外れているが
藤崎城西の丸の館神として祭祀された
「馬頭観音」と書かれている
旅の途中で息絶えた馬を祀るためか?
鹿島神社に合祀されたこともあったが
明治13年に復旧した


 藤崎町を訪れたら、是非、町並みにも注目して欲しい。

 街道沿いには、当時を思い起こすような、情緒溢れる店の造りや家屋が立ち並んでいる。
国道7号から藤崎十字路を右に折れると
R339号・街道筋に出合う
商店街であったのだろうか
様々な店やが並ぶ
昔ながらの蔵があちこちにある 白鳥の飛来地としても有名な藤崎町
毎冬、平川には多くの白鳥がやってくる
街の至る所に羽州街道を示すものがあり、つい目を奪われてしまう
藤崎三組(田舎館組・柏木組・藤崎組)
の代官所がおかれた
多くの人が遠く外ヶ浜を目指して
歩いたのだろう
毎年8月には藤崎町ねぷた祭りが行われ、数台のねぷたが街を運行する
羽州街道はここで339号バイパスと出合う

 339号バイパスの交差点を直進し、羽州街道はさらに続いていく。

保食神社

県道「五輪平 藤崎線」沿いにある 建てられた当時は
馬頭観音を祀っていた
十三湊と小泊方面への脇道が
分かれたことを示す追分石
現在は、保食神社境内に移されている
以前、追分石があったとされる場所
現在は交差点になっている
直進:羽州街道(県道前坂 藤崎線)
左折:県道五輪平 藤崎線

 羽州街道は国道7号バイパスを越えて、藤崎町矢沢に至る。

 矢沢の村へ入ると、より一層、街道の歴史を痛感させられる。

国道7号バイパスと羽州街道が出合う交差点
矢沢の村の入り口にある馬頭観音
矢沢にも羽州街道の石碑が建てられている 石碑の隣には
羽州街道図と由来が書かれた看板が並んでいる
清野謙堂・千代吉の功績を示す頌徳碑 坂上田村麻呂の伝説が残る?とされる
矢沢の正八幡宮