羽州街道 弘前

青森県(津軽)の羽州街道 弘前

弘前城下へ

 大鰐町鯖石を越えると弘前市小金崎(こがねざき)石川(いしかわ)に入る。
 小金崎、石川地区は
現在、東北自動車道の大鰐・弘前ICや国道7号石川バイパス、旧国道7号の県道石川百田線、弘南鉄道大鰐線などが集中する交通結節点となっている。
 旧道は残っているが、近年まで美しい松並木が残っていたといわれる旧街道の面影は今はない。
小金崎から南を望む
大鰐スキー場(あじゃら山)
小金崎の現国道(左)と旧道(右)
分岐点
小金崎集落を通る旧国道
 平川を御幸橋で渡ると石川本村に入る。
 南方に石川城跡がある。石川城は、平川に突き出す断崖の丘大仏ヶ鼻の上にあった。
 石川城は、鎌倉時代の曽我氏、戦国時代の南部氏が居城とし、多くの戦乱の場所となった。
 元亀2年(1571)城主南部高信は大浦(津軽)為信に滅ぼされ、その後為信は津軽統一を果たした後に弘前城築城に際し、廃城となった。
 大仏ヶ鼻は今、大仏公園となり、桜やアジサイがあり、地域のやすらぎの場となっている。
 石川の西側で街道は、堀越(ほりこし)を通って弘前へ直進する
堀越街道と津軽平野の南端を通る千年山街道に分かれる。参勤通路は最初、堀越街道を利用したが、貞享2年(1685)これが廃止され、千年山街道が羽州街道として使われた。
小金崎から北を望む
現国道石川バイパス(右)と旧国道(左)
分岐点(環境施設帯にリンゴの樹)
平川を渡る御幸橋 旧石川本村を通る旧国道
石川城跡の大仏ヶ鼻公園から
弘前市内を望む
石川城跡の大仏ヶ鼻公園から
大鰐町を望む
石川城跡の説明看板

千年山街道

 街道は、大沢に入り八幡宮前、庚申山北側を通り、津軽平野南縁傾斜地のリンゴ畑を行く。
 牛沢川を渡って
松木平(まつきたい)に入る。
 松木平は、堀越村を移転させた新しい村で、街道の直角曲がりの交差点には、開村300年を記念し、一里塚跡の石碑が建っている。
 街道は、
小栗山(こぐりやま)へ続く。
 小栗山は古く、南北朝時代からの村といわれ、小栗山神社がある。この旧郷社は十二神を祀ることから十二所権現といわれた。
 小栗山で踏切を渡ると千年公民館・児童館の前に大きな松が一本立っている。
「千代の松原」と案内標柱があり、このアイグロマツは、街道並木の名残である。
 裏山は藩主の「千年山御仮屋・長楽亭」があり、のちに明治天皇の御小休所となった場所である。
 大和沢川を渡り
松原に入る。昔は地名のとおり松並木が続いていたところである。
 市街地を北上すると街道は
富田の枡形(ますがた)に出る。現在は変形交差点となっている。
 富田枡形は城下の入口で、富田、
取上(とりあげ)から松森町(まつもり)までの街道は元禄時代後半につくられた。
 それまでの羽州街道は、
三岳町(みたけ)から取上の貴船神社前まで、取上は堀越街道との合流点となっていた。
大沢の八幡宮 松木平にある一里塚跡 千年山街道(松木平から小栗山付近)
十二神権現といわれた小栗山神社
鳥居の隣に旧鳥居の梁も置かれている
千代の松原とその案内標柱
松原の現在の通り 富田の枡形南側を望む
左に弘前第三中学校、右に文京小学校
富田の枡形交差点
右へ羽州街道は進む

堀越街道

 石川村西口から堀越街道が続いている。この道を北上すると堀越城跡へとつながっている。
 堀越城は、南北朝時代の建武3・延元元年(1336)、北朝方の曾我太郎貞光の築城という。
 大浦(津軽)為信は文禄3年(1594)、大浦氏の本拠地である大浦城(弘前市五代)から、居城を堀越城へ移し、津軽を統一するまでの17年間本拠とした。
 為信は慶長8年(1603)、高岡(現在の弘前)に新城を計画したが、為信は計画段階で病没したため、三男・信枚(2代津軽藩主) が受け継いだ。
 慶長16年(1611)に弘前城は完成し、堀越城は石川城とともに廃城となった。この年、信枚は徳川家康の養女満点姫を正室に迎えた。
 堀越城跡から羽州街道の合流までは、
門外(かどけ)大清水(おおしみず)取上などの集落がつながっている。
堀越城趾 右写真は本丸跡 旧道沿いに存在する百万遍 現在の取上

弘前城下

 取上から羽州街道は上土手町にのびている。青森方面へは上代官町交差点から右折し和徳町(わっとく)へ向かう。
 
ただし、津軽藩の街道の起点は弘前城であった。参勤交代では弘前城、本町から親方町を通り下土手町中土手町を経て羽州街道に合流した。
弘前バイパスが出来るまでは国道7号
松森町は今でも少しではあるが「こみせ」の風情が残る 上土手町の旧道
今は電線共同溝も整備されている
中土手と下土手の境「蓬莱橋」 「蓬莱橋」から東方面中土手を望む 「蓬莱橋」から西方面下土手を望む

弘前公園
弘前公園(夏)と岩木山 弘前公園西堀の桜のトンネル 弘前公園(春)と岩木山
弘前城 追手門 弘前城(築城400年) 弘前城 亀甲門
弘前城 東門
春の弘前城 桜 秋の弘前城 紅葉 冬の弘前城 雪灯籠
以下の写真は、
「青森県画像検索ダウンロードサイト」
の写真を使用しています。
・弘前城
・弘前公園(春)と岩木山
・春の弘前城 桜
・秋の弘前城 紅葉
・冬の弘前城 雪灯籠
最勝院五重塔

青森街道へ

弘前城東門から東に進み土淵川を渡ると和徳町の制札場につきあたる。ここで土手町から代官町に折れた羽州街道と合流する。
 和徳町は今でも「こみせ」の名残が見られる、堅田の境に和徳の枡形があったが現在は直線道路となっている。
 
堅田を過ぎると、撫牛子村(ないじょうし)大久保村津賀野村(つがの)の集落を北上すると百田(ももた)へと続き、平川の渡しとなる。
上代官町十文字交差点
右折:羽州街道、左折:弘前公園
和徳制札場付近
左折:東門
和徳枡形付近
撫牛子地区の旧国道
撫牛子高架橋との立体交差
津賀野地区の旧国道 平川橋と舟場のあった場所
平川橋から見た岩木山