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御手舟の舟印と舟タンス(大蔵村稲沢の成沢家所蔵)
 かつて新庄藩の御手舟の船頭をしていた成沢家には、舟に関する史料が多く残っています。


小屋家の享保びな
 小屋家は、400年以上続く造り酒屋で、かつては最上川舟運の米沢藩御手船の差配も兼ねていました。そのため、京都・大阪から舟で運ばれた華やかな品々を数多く所蔵しており、享保びなもその一つです。


興源院の梵鐘
 清水家累代の菩提寺、興源院の本堂にある直径2尺、高さ4尺ほどの梵鐘で、「延宝五年七月、京都金之座住 治工和田信濃大捏捏藤原氏入道長寿」の銘があります。


波よけ地蔵(大蔵村比良地区)
 清水は古くから最上川舟運の舟継場として、上り下りする多くの船で賑わった所です。ここに新庄地廻り地蔵巡礼の八番札所の地蔵様が祀られています。
 「波よけ地蔵」もしくは「北館地蔵」と呼ばれるこの地蔵様は、船の安全を願った地蔵様で、舟運時代には川が見下ろせる高い崖の上に穴を掘って祀られていたそうです。このあたりは最上川の難所だったので、船頭衆が船の上から地蔵様に航海の安全を願って通ったといいます。
 波よけ地蔵は、年に数回地蔵様の所にお灯明(ローソク)をつけて拝んだあとや、地蔵様の衣装が新しく変わっていたりしているので、近郷の人達がお参りしているようです。


要の松(大蔵村鳥川集落の川向かい)
撮影時期 昭和30年頃と思われる
 この写真は村内の人に頂いたものですが、撮影時期は昭和30年頃としかわかりません。現在は病虫害のため多くの松は倒れてしまい、残り数本のみとなっています。しかも雑木が大きくなり、松の姿が目立たなくなってしまっています。古くから有名な松なので、また写真のような要の松の姿に戻ってほしいと願っています。


龍角の伝説
 稲沢の旧家成沢家は、藩政時代には新庄藩の御手船を預かる家で、今でも多くの史料を所蔵していますが、家宝としているものに「龍角」があります。
 天保時代、成沢家のある者が、舟で最上川を下り、作の巻の蛇喰見まで来た時、川岸の川波で、1m以上もある大きな骨が漂っているのを見つけました。大きさといい異様な骨組みといい、普通の動物とも思えないのでとりあえず家に持ち帰り、「龍角」と名付け大切に保存していたところ、以降成沢家には良い事ばかり続いたそうです。

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