船を曳く曳子たち。最上川の難所や急流では、当時往来する川船では調節がつかず、曳子たちが船に綱をかけて引っぱりました。難所付近にはこの曳子たちの住む曳船集落があり、多いときには100人以上の曳子が必要だったようです。(若宮やな家所蔵)