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歴史散策 > 舟運の歴史
紅花大尽
 今日では県の花にも指定されている紅花ですが、置賜・村山地方では古くからの特産品で、最上紅花として全国的に名声を博していました。この紅花生産の発達は紅花を各地へ回漕する紅花商人に多大な利益をもたらしました。江戸後期に栄えた山形の紅花商人は現在の金融・商業会のような中心的な存在にありました。かれら紅花商人の中で破格の利益を生み出したものは「紅花大尽」と呼ばれ、代表的なのは尾花沢の鈴木清風でした。清風は紅花大尽とまで言われるほど、豪商として有名でしたが、商人としては珍しく俳諧をたしなみ、松尾芭蕉とも親交があり、その人柄が芭蕉の『おくのほそ道』に伝えられています。

鈴木清風[すずき・せいふう](1651〜1722)
本名島田屋・鈴木八右衛門。清風は俳号。紅花大尽といわれた豪商で、談林系の俳人でもある。芭蕉とも交遊が深く、芭蕉が尾花沢の清風亭に逗留したときの様子は『おくのほそ道』に詳しく描かれ、文中で清風の人柄を褒め、名句を残した。紅花の不買同盟に対して、商品を焼き捨てた様に見せかけて大商いをしたなど、気骨のある商人として伝えられている。




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