羽州街道 油川 

青森県(津軽)羽州街道  油川

青森市新城へ

 鶴ヶ坂山を越え、戸門でいったん国道7号線と接してから新城へとはいっていく。

 戸門村へ入ると、すぐに久須志神社へと差し掛かる。

 戸門見通りを抜けて、
新城の街区へと続く。
 

久須志神社

久須志神社の鳥居 鳥居をくぐりまっすぐ進む
境内は馬頭観音が祀られている。
峠越えを経た街道は、県道鶴ヶ坂千刈線と重なり、戸門見通りに至る。
ここの交差点で現在の国道7号に近接する。
左手に見えるのが県道、右手が国道7号
ここにも百万遍の石塔がある。 
羽州街道の石碑と街道図 戸門村付近の街道図が記されている。
羽州街道の石碑
県道をまっすぐ来ると、新城の街区へと入る。
写真は、国道7号バイパスの新城高架橋
JR津軽新城駅の先の交差点で街道は
北に折れる。
JRの踏切を越え、県道津軽〜油川線を進む。 JR津軽新城駅
 JR津軽新城駅の先で北に折れ、金峰神社の前を通り、いよいよ羽州街道の終着、油川
へと向かう。

金峰神社

新城山田にある金峰神社 金峰神社の前を通過して、
羽州街道の終着点となる油川へ向かう。
街道は国道7号の高架橋を横断する。 国道280号バイパスとの交差点。
遠くに見えるのは北海道新幹線の高架

 羽州街道と奥州街道の合流地の碑。

 ここが羽州街道の終点となる。

羽州街道・松前街道合流之地の石碑

羽州街道と松前街道の合流地点の碑
松前街道の起点、羽州街道の終着点でもある。

 往還当時は松並木がつづいていたという岡町から、油川の道を進み、大浜と呼ばれた
油川地区に入る。

 油川は遠国基、奥瀬善九郎が城を築き、外ヶ浜を支配していた。

 天正13年(1585)津軽為信に攻められ南部へと逃れたという。

 津軽氏の領地となってからは弘前はむろん、松前や青森、小湊方面からの街道が集ま
り、外ヶ浜の中心として、商人の町として栄えた。

 寛文4年(1644)には津軽藩により、奥州街道と合流する油川に伝馬場を作らせ、伝馬
町ができた。

伝馬場

伝馬町は町内でも最も賑やかな町で
あったと記されている。
伝馬町は羽州街道の終着点であった。

 陸奥湾に面した大浜(油川)の歴史は、南北朝の北畠氏以来、奥瀬氏、そして津軽氏に
引き継がれ、絶え間ない歴史の流れがあった。

 熊野神社や、奥瀬氏の菩提寺であった浄満寺など、古くからある社寺が大浜の歴史の
証人となっている。

浄満寺

浄満寺入り口

熊野神社

熊野神社の鳥居 熊野神社境内