犠徳山本覚寺(村山市楯岡)の伝説によると、元亀三年(1570)、村山地方は大干ばつに見舞われ、農民達は非常に困窮していました。すると白髪の予言者が現れ、「最上川の五天(碁点)の淵に竜宮があり、そこにすむ竜神に生きた牛を供えれば必ず雨が降る」と言いました。農民達は、若者が連れていた雄牛を奪い、五天の淵に沈めてしまいました。するとたちまち白竜が昇竜し、豪雨が三日三晩降り続きました。農民は干ばつの危機を脱することができましたが後難を恐れ、明銭五貫目を持ち主に贈り礼を述べました。
ところが若者はこれを受け取らず、行脚していた良穏上人がこれを聞き、「牛とはいえども仏性はある。早く三宝に帰依し懺悔しなさい」とその非を諭し、七日七夜念仏をあげました。村人達も皆合掌し、念仏を唱え牛の魂に捧げたということです。これが現在の犠徳山本覚寺の由来で、境内には牛の墓も現存しています。
この伝説に因み、村山市に本部を置く最上川龍獅子会では、村山市クアハウス碁点の最上川対岸にある八大龍王神社の春の大祭(旧3月3日)に、境内において舞の匠による金龍と白龍の昇竜の舞を奉納します。 |