有識者からのヒアリング状況

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大津 高 (おおつ たかし)

最上川流域の両生類
 山形県吾妻山に源を発した最上川は置賜(米沢)〜村山(山形)〜新庄の各盆地を貫流北上し、西に転じて庄内平野に入り酒田の日本海に注ぐ。流路長229qで全国第7位であるが、流量は年平均392?/sで第4位を占める。なお県内最上川以外の水系は大朝日岳西面を源とし、小国を通り新潟県村上市南で日本海に注ぐ荒川と、庄内地方の直接注ぐ数本の小流だけで、赤川も本来河口から2qほど上流に入る最上川最大の支流であったが、氾濫を防ぐため昭和時代に砂丘横断の放水路工事で直接日本海に落水させた。年間降水量は内陸の山形市で1125o、庄内海岸酒田市で1467o、年平均気温は山形で11.5℃、酒田で12.3℃である。
 両生類は最初の陸上脊椎動物として、約4億年前のデボン紀後期に魚類から進化し上陸したといわれる。最古の化石はグリーンランドから発掘された。えら呼吸から肺呼吸に、水中用のひれから4本の肢に代わったが、それは成体のみで、卵からかえったばかりの幼生はともに祖先の形質がそのまま残っているので、仲々水辺から離れられないが、その事が幸いして白亜紀〜第三期の生物の絶滅大変換期をのり切れたのかも知れない。なお、デボン紀のグリーンランドはパンゲア大陸の一部で赤道近くに位し、温暖多湿の気候で、以来両生類は変温動物であることもあり、温和な気候帯が主分布地であり、寒い山形のような雪国は敬遠されがちであった。
 しかし両生類は人畜に危害を加えることはほとんどなく、逆に害虫を捕食してくれるので各地で愛され、種々家具等のデザインのモチーフになったり、また種によっては食用や薬用に供されている。しかしそれらの関係は熱帯・亜熱帯に多く、雪国の山形では子供のカンの薬とか詩歌の季節の題材になるぐらいであった。


最上川流域の両生類の分布に関する研究
 上記のように、山形県民と両生類の関係はあまり深くないので、昭和年代以前の研究はほとんどなく、あっても重要な記録でないのは残念である。しかし最上川の雪どけ水はおそくまで豊富に流れ、また国内有数の水田地帯なので両生類のすみかとして不足はない。ただ雪国で冬が寒く長いことは暖地性の種類の生息を許さず、低温に耐える適性種は大繁殖したが、生息する種類数はやや少ない。
 山形県内の両生類の研究でまずあげねばならないのは、岡田弥一郎・橋本賢助の「荘内博物学会研究録」登載の1937年の論文である。当時山形師範学校教諭であった橋本の調査に基づき、同年東北地方を探訪していた岡田が提携してまとめたもので、関係する文献や方言呼称も丁寧に記してある。掲載種類は無尾類9種で、ヒキガエル、ニホンアマガエル、トノサマガエル、ニホンアカガエル、ヤマアカガエル、ツチガエル、シュレーゲルアオガエル、モリアオガエルとカジカガエルが入っている。また有尾類はイモリ、トウホクサンショウウオ、クロサンショウウオとハコネサンショウウオの4種、合計13種で22ページに4図版のついた大部(但し爬虫類を含め)の報告であった。
 次は橋本が翌(1938)年に「山形県教育」に発表した「山形県の両棲類」で、これは前年の報告13種に、岡田によって新たに記載された亜種ヤマヒキガエルを加えた14種及び亜種が載っている(但しヤマヒキガエルは後にヒキガエルに吸収された)。


山形県総合学術調査会の発足
 太平洋戦争も終わって国内も漸く安定しはじめたころ、樺太博物館や南京博物館で鳥類の分類学に携わって来た東根市出身の高橋多蔵の奔走で、山形県総合学術調査会なるものが1959年発足、山形県・山形新聞・山形放送・山形交通や対象地域の市町村等の出資をえて自然環境を調査することになった。事務局は山形県庁内の環境関係課におかれ、会長は歴代の山形県知事、初代幹事長は山形大・植物の平松計之助であったが、二代以降の幹事長は調査団長をかねて山形新聞社の幹部が当たり、会を運営した。山形県総合学術調査会は地学・植物・動物・陸水・地理・考古等の諸般からなり、最初の対象は朝日連峰で各班数名の調査員が別々に山地入りし調査を続けたが、不慣れなこともあって調査のまとめは難航し、最初の調査報告書「朝日連峰」が発刊されたのは、開始5年後の1964年であった。以後山形県下の各地、吾妻連峰、飯豊連邦、鳥海山、飛島、出羽三山・葉山、神室山・加無山、最上川、蔵王連峰、御所山、摩耶山とほぼ県下の高峰と最上川が踏査され1992年に解散となった。
 この中で両生類・爬虫類の調査を担当したのは一貫して大津 高とその協力者数名である。大津は特に分類・生態の専門家ではないが、両生類を実験材料に多用した山形大学の花岡謹一郎教授の下で育ったので、比較的両生類になじんでいた事と、他に適当な若手候補者がいなかったためのあて馬だった。そしてこのことが後に山形大・理で動物分類学担当の適任者がいなかったための急場凌ぎの担当者になってしまった。
 山形県の両生類に特産や特別な種はいない。環境庁の絶滅危惧種も現在は全くいない。また岡田・橋本(1937)のリストに加えられるべきものはその後移入されたウシガエルRana catebeianaとタゴガエルRana tagoiのみである。ウシガエルはいつ移入されたか明確ではないが、太平洋戦争後暫くしたころには山形市霞城や各城下町の水濠等に繁殖していた。
 一方タゴガエルは1959年大津が月山登山の折、石踏川で採集した小個体数匹がヤマアカガエルと異なり、同定不可能でいた。所が同年6月上旬、当時山形大教育学部にいた鈴木庄一郎も山形市東沢地区で不明のアカガエルをとり、早速母校のカエル分類専門家川村智治郎に鑑定依頼の標本を送っていたので、その教示で立ち所に闡明されたのであった。
 他に上山市付近のアカガエルを当時の解説書からマルテンスアカガエルと大津は考えていたが、後にそれはニホンアカガエルの同物異名となっている。


山形県自然環境現況調査とRDB調査
 国際自然保護連合から1988年絶滅危惧種の赤リストが刊行され、環境庁(当時)からは「日本の絶滅のおそれのある野生動物」(RDB)が発刊された(1991)。また1992年には「種の保存」に関する法律が成立し、かつ同年開かれた地球サミットで「生物の多様性に関する条約」が締結され、我が国に於いてはこの条約に基づき「生物多様性国家戦略」が決定された(1995)。
 ここに於いては山形県はいずれ、より地域に密接した保全策が講じられることを予知し、平成5(1993)年山形県自然環境現況調査会を文化環境部環境保護課内に造り、既存文献・資料の収集・解析を行い、一応希少種・注目種等を選定し目録を作った。その基本になったものは山形県総合学術調査会の報告書10巻で、翌平成6(1994)年と7(1995)年に現地確認調査を行い、平成8(1996)年に目録登載種の再検討及び現地保管調査を実施し、目録登載種の種毎の調査表及び1/5万地図の1/16メッシュでの分布図を作成し、動物は脊椎動物編と無脊椎動物編の2編として平成9(1997)年に出版された。
 「自然環境現況調査報告書」が発刊されてまもなく、果たして各県のRDB刊行の機運が高まり、山形県では平成10(1998)年、山形県稀少野生生物調査委員会が会長大津高、動物部会長伊藤健雄、植物部会長斎藤員郎の組織で発足し、それぞれ各小分野の専門有識者を集めた。事務局は環境保険部環境保護課である。動物部会は哺乳類、鳥類、爬虫・両生類、淡水魚類、陸産・淡水産貝類甲殻類、昆虫類の6部会で構成、25名の委員が調査検討に当たった。
 爬虫・両生類は大津高・鈴木強・佐藤一喜の3委員が3年で調査・検討し、カテゴリー区分と記載事項をつけ原稿を提出したが、分科によっては原稿がまとまらず、「山形県の絶滅のおそれのある野生生物」(RDB=レッドデータブックやまがた)の動物編が刊行されたのは平成15(2003)年春であった。
 今、戦前から戦後へかけての両生類の衰退に大きく働いた要因を考えてみると、山形県内ではまず山麓・山村地域の農作物がクワからリンゴ・ブドウ・ナシ等の果樹に代わったことがあげられる。すなわち当時はまだアメリカシロヒトリが入っていなかったし、蚕の外は食う虫もおらず、クワは野生もある丈夫な植物だった。それに対しリンゴは各種の害虫がつき、収穫が全くできなかった。戦後それが栽培可能になったのは完全に殺虫剤の発達によるものである。だがその殺虫剤は凡ゆる動物に害毒を及ぼし、特に両生類はその幼生時代が水中生活のため、著しい影響をうけた。
 また農業の機械化で家畜が不要になり、そのため路傍・畦畔・荒地の草刈が行われなくなった。このことは一方では強力な雑草のみを繁茂させ、植物相を単純化させ、ひいては動物相も単純化させた。また湿地はすべて埋立てられ、工場や新興住宅地に変わり、特に湿地を好生息環境とする両生類の生息地を直接つぶしてしまった。
 また農業機械化は水田の干田化と、給水工のコンクリート化を促した。すなわち農業機械はぬかるみでは一般に動きが取れず、水稲の生育期以外は完全に水のない状態で耕運し、給水排水を迅速的確に行うためには、水路のコンクリート化、U字溝化は必要になる。こうして水田は田植期の5月から稲刈りの9月までは生き物にとっての沼沢地となるが、それ以外は干燥地となり、歴史的な年間の沼沢地または湿地は完全に破壊されてしまった。干田化されずに残るのは山間の狭隘な山田であったが、こちらは人手不足と生産性の低劣さから、ほとんど耕作が放棄され荒廃に帰し、最も劣悪な荒地と化している。
 稲の耕作時期すなわち5〜9月は沼沢地として一応水田は生物のすみ家となるが、イネ以外の生物はほとんど生活できない。すなわち田植後まもなく除草剤や殺菌剤等が散布される。除草剤は耕運後新たに芽生える雑草の萌芽を妨げるもので、稲は生長しているのでほとんど影響をうけないが、雑草は芽生えできない。さらに殺菌剤を用いていもちその他の病菌を殺し、また殺虫剤をまいてヨコバイその他多くの害虫を殺す。このような薬剤散布年間数回〜十数回も行われる。さらに嘆かわしいことは、これらの薬剤散布がヘリコプター等の航空機で行われることである。これは農作業の手間を省き、広範囲に一挙に散布できるので害虫の逃避を防ぎ効率を上げる等の利点も多いが、薬剤は手まきに比べ10倍も濃度の高いものを大量に撒くという。だから現在の平野部の水田はイネ以外の生物はほとんど生息、または生育できない。


両生類の生息状況
<サンショウウオ目 Caudata>
○ サンショウウオ科 Hynobiidae
1.トウホクサンショウウオ Hynobius lichenatus Boulenger
 山ぎわの清冷な湧泉、または清水の浸出する湿地の水たまり等に、年明けから5月頃まで産卵する。湧泉は多くの場合、付近の集落の飲料水となり、後に灌がいに使用されることが多かったので湧水の下には大体深いたまりになっていて、ここが幼生の発育場所となったが、低温と清水の栄養不足で、幼生はしばしば越年して翌年変態するものも少なくなかった。所が戦後多くの山村が平地に移転し無人になるものが少なくなく、湧水付近の水路にあまり人手が入らなくなったので、一次本種の生息数が増えた所も少なくなかった。所が今度はそれらの湧泉が下方の集落の簡易水道の水源に使われ、周囲をコンクリートで固め天蓋を着けるのでサンショウウオは産卵地を失い、急速に生育数を減じている。
 レッドデータブックやまがたでは準絶滅危惧種NTに指定。

2.クロサンショウウオ Hynobius nigrescens Stejneger
 海岸から2000mの高山帯まで分布。但し適当な産卵地があると大繁殖するが、普遍的には分布しない。県内で白鷹大沼近傍のヨシ沼、葉山大円院跡の池、五色滑川間道路の滑川近くの路傍の池等に夥しく産卵する。

3.ハコネサンショウウオ Onychodactylus japonicus Houttuyn
 多産するのは局地的で、月山石跳川と志津集落付近、最上町向町、同町中又沢等には多い。レッドデータブックやまがたでは準絶滅危惧種NTに指定。


○ イモリ科 Salamandridae
4.イモリ Cynops pyrrhogaster(Boie)
 以前は各地の池沼・水田に生息したが、現在は干田化や農薬で減少し、山田・山中の湖沼・山中湿地等に少数残存。月山多麦俣付近・鶴岡市大鳥池付近の池等に多数生息している所がある。


<無尾目 Anura>
○ヒキガエル科 Bufonidae
5.アズマヒキガエル Bufo japonicus formosus Boulenger
 以前は農村地帯・低山地から高山まで、そして都市部の庭園にも生息し、村落・社寺の池等に数百匹も集まり産卵したが、現在は極めて稀に見られるだけ。産卵期は庄内地方で3月下旬から、内陸で4月上旬からである。生息数激減の理由はまず食料不足があげられる。本種は体長が16cmにも達する大型種のため、1日の食料がエンマコオロギ5〜20匹にも達し、とうてい現在の自然環境はそれを供給できない。深山から高山にかけて現在生息する個体は体長10cm前後と小さく数も少ない。食料不足のせいと思われる。しかし渓谷ぞいに生息するものの中には、覆面や脇腹に美しい紅色斑またはぼかしを具えたものがおり、かつて岡田によってヤマヒキガエルB. j.montanusという亜種にされたことがある.その他農村地帯の溜池や湿地の減少や農薬・洗浄等の使用による水質悪化も幼生生育の障害になっているのであろう。


○アマガエル科 Hylidae
6.ニホンアマガエル Hyla japonica Gunther
 本種は戦前とあまり代わらない分布を示していると思われる。すなわち年の建築物密集地と深山〜高山地帯を除きどこにも生息する。但し果樹園・広い水田地帯には生息数が少なく、あぜ道等にかたより、また河川敷に多い。以前はまた新興住宅地にも大繁殖したが、近ごろはごみの処理が徹底したせいか少なくなった。飛島に生息する両生類は本種のみ。


○ アカガエル科 Ranidae
7.ニホンアカガエル Rana japonica japonica Gunther
 昭和30〜35年ごろまでは、水田の多い農村地帯の平地には山間部を含め本種が多数生息し、3月雪どけの水田の一隅は卵塊が群がり、6月の梅雨のころの一時期は、その上陸したての幼個体が文字通り足の踏み場がないほど上陸した。しかしその後は農業の機械化によりすべて干田化して本種は産卵場所を失い、急速に衰退し、現在山形県下で確実な繁殖地は稀になってしまった。現在は酒田市新堀地区の水田と最上川河川敷、並に上山市久保手地区で繁殖しているが後者は山形ニュータウン建設の余波をうけ破滅の危険性がある。既に山形市隔間場、朝日町宮宿の新宿地区は数年以来の開発で絶滅したものと考えられる。他に数カ所、散発的な最終例はあるが、気息奄々たるものののみのため、RDBやまがたでは絶滅危惧IB類ENに指定された。

8.タゴガエル Rana tagoi Okada
 山形県では昭和34(1959)年、はじめて鈴木庄一郎・大津高によって別々に発見され、1964年朝日連峰に記録されたのが始まりと思われる。県内では海抜およそ300〜800mぐらいの山地の渓流畔または清水のにじみ出る小溝に産卵されるが、以後子がえるは高所に登り、時に高山頂や稜線に達するものがある。

9.ヤマアカガエル Rana ornativentris Werner
 本種は山地を生息地とするが、時に平地の河畔林などにすむこともある。県内山地に最も普遍的に生息するが、近年山田の荒廃と共に減少した。標高1000m以上の地にはあまり住まない。

10.トノサマガエル Rana nigromaculata Hallowell
 戦後DDT・BHCなどの強力な農薬の普及と共に、ほとんど姿を消していたが、それらの農薬が規制されると忽ち平野部まで繁殖した。しかし昭和時代の末ごろから、今度は徹底した水田の干田化、水路のコンクリート化が行われ、本種も急速に減少し、今は山村の池沼や平地のやぶ化した河川敷などに残るにすぎない。山地にすまないことや、体が大きく食料も不足しているのが原因かもしれない。

11.ツチガエル Rana rugosa Temminck et Schlegel
 近年著しく生息数を減した種である。本種の陽性は山形県ではほとんど越冬し、翌年変態するが、近年越冬のためのやや深い池がほとんどなくなったことと、そのような深い池の多くはウシガエルの侵入をうけ、その競合で衰微したものと考えられる。だからウシガエルの入っていない山中の池沼には繁殖している処もある。山形県ではRDBやまがたに準絶滅危惧種NTに指定してある。

12.ウシガエル Rana catesbeiana Shaw
 本種が繁殖すると、動く物は何でも食い尽くすので、ツチガエル・トノサマガエル等はいなくなる。大繁殖しているのは大山下池・東根市古モガミ(旧河川跡)・山形市隔間場の池・白竜湖などであろう。しかし近時いく分生息数が減ったのは、ツチガエルと同じ理由で、深い池沼の数が減ったからであろう。


○ アオガエル科 Rhacophoridae
13.モリアオガエル Rhacophorus arboreus(Okada et Kawano)
 広く分布するが産卵池は少ない。5〜6月雄の鳴き声は広く聞かれるが、産卵池の良好なものがない。卵塊は仲々見られないので、RDBやまがたでは準絶滅危惧種NTとなっている。尚、鳥海山鶴間池は本種の産卵地として山形県の天然記念物に指定されている。

14.シュレーゲルアオガエル Rhacophorus schlegelii(Gunther)
 広く分布し、山麓の水田の畦が産卵地である。が、近時山田がほとんど荒廃しているので、その荒れた畦や池沼の縁に産卵しているのが見られる。モリアオガエル同様、これから生息数が急に減ずるであろう。

15.カジカガエル Buergeria buergeri(Temminck et Schlegel)
 渓流の岩上にすみ、春産卵し黒い幼生は流水中で育つ。広く渓流に分布するが、平野部の河川には住まず、上流部にも住まない。温海温泉・銀山温泉等、温泉地の前を流れる渓流や川に多いのは何か理由があるのだろうか。


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