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本川・支川の主な橋
 橋は離れた土地を結び、私たちの経済活動に重要な役割を果たしています。
 現在、最上川には約90の橋が架けられています。昔、特定の大きな橋を渡るとき、現在の有料道路の通行、または使用につき支払う料金と同じ意味合いで、橋賃を払いました。私たちの生活に密着している橋も、さまざまに変化を遂げています。

 

荒砥鉄道橋
荒砥鉄道橋【白鷹町】
・製造年 1889年(明治22年)

山形鉄道フラワー長井線は、大正12年の完成以来多くの人々や物資を支えてきました。このフラワー長井線に全国に誇れるものがあるのです。皆さんご存知ですか?荒砥駅近くの最上川にかかる鉄橋です。この橋はもともとは、明治22年に旧国鉄東海道線の河川橋として架けられていた橋でした。当時は一支間長を28フィート(約63m)、その後の架け替え工事により、支間長を150フィート(約46m)に改造するなどして、長井線に転用されたもので、初めて人を乗せて以来100年を過ぎた橋なのです。
当時の日本は、あらゆる面で技術改革が始まったばかりで、このように支間が長く、しかも重い荷物が通ることができる橋を造ることなどは、当然困難なことでした。そのような中でこの橋は、イギリス人ポナールの手によって設計され、イギリスのメーカーが製作し、その指導のもとに日本人が初めて架設したトラス橋の一つなのです。言い換えれば日本で一番最初に架けられたトラス橋なのです。

高瀬大橋
高瀬大橋【寒河江市】
・製造年 1992年(平成4年)

 高瀬大橋は、最上川が育んできた「歴史」をテーマに、両岸の平塩、高瀬地区の歴史的背景を考慮したデザインの橋なのです。橋梁の親柱の一方には、平塩地区に室町地代より伝承されている村社、熊野神社にまつわる平塩舞楽より「蘭陵王の舞い姿」、また他方には、高瀬山古墳及び石田遺跡や縄文、弥生時代の遺跡群が連なることから、古代の人々を偲ぶものとして、「遮光器土偶」の像をそれぞれ親柱の像として設置した、尊厳なイメージあふれる橋です。

堀内橋
堀内橋【舟形町】
・製造年 1956年(昭和31年)

 舟形町富田から堀内に行くには、最上川を1つ越えなければなりません。ここに橋が架かるのは戦後のことです。それまでは渡し船で常時船頭がいて村人を渡していました。この当時船頭は村費で雇われていたようです。この渡し船場に橋を架けようとする動きが具体的に始まったのは、昭和21年9月。そして、昭和23年に木橋の堀内橋が完成しました。現在の鉄橋は、このあとに造られたもので、昭和31年11月10日竣工したものです。延長180.91m、幅5.5m、3ヶ年の歳月をかけた大事業でした。




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