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東日本大震災ひがしにほんだいしんさいって何?

いつ・どこで・どのくらいの大きさの地震があったの?

地震名:平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(※1)
発生日時:平成23年3月11日(金)午後2時46分
震源地:三陸沖さんりくおき 約130km付近 深さ24km
地震規模きぼ:マグニチュード9.0(※2)
最大震度:7(宮城県栗原市)(※3)

※1 東北地方太平洋沖地震による災害さいがい及びこれにともなう原子力発電所事故による災害については、「東日本大震災」と呼んでいます。

※2 マグニチュード9.0の地震は日本の観測史上かんそくしじょう最大、1900年以降世界でも4番目の規模の地震でした。

※3 震度7とは、「立っていることができず、わないと動くことができない。」「屋内では、固定していない家具のほとんどが移動したり倒れたりし、飛ぶこともある。」「屋外では壁のタイルや窓ガラスが破損はそん、落下する建物がさらに多くなる。補強ほきょうされているブロック塀も破損するものがある。」くらいの規模の地震です。 (気象庁ホームページを参考に作成)

★最大震度7(宮城県栗原市)

どんな被害ひがいがあったの?

東日本大震災では、地震の後の津波によってとても大きな被害が生じました。

人的被害じんてきひがい
死者19,747名
行方不明者2,556名
負傷者6,242名
建物の被害
全壊ぜんかい122,005棟
半壊はんかい283,156棟
一部破損はそん749,732棟
(令和3年3月9日時点 緊急災害対策本部資料より)

津波の様子(出典:岩手県久慈市)

各地の津波の高さは
福島県相馬で9.3m 以上
岩手県宮古で8.5m 以上
大船渡で8.0m以上
宮城県石巻市鮎川で8.6m以上
などが観測(気象庁検潮所けんちょうじょ)されたほか、宮城県女川漁港で14.8mの津波痕跡こんせきも確認(港湾空港技術研究所)されています。

国土地理院によると、津波による浸水範囲しんすいはんい面積の合計は約561k㎡、山手線の内側の面積の約9倍でした。

各地の津波の高さ
(出典:国土地理院ホームページから抜粋)

地震前と地震後での変化って?

東北地方から関東地方の広い範囲で東向きの地殻変動ちかくへんどうが見られました。
宮城県牡鹿おしか半島は、東南東方向に約5.3m水平移動し、約1.2m沈降ちんこう
また、同県沿岸部の海抜かいばつ0m以下の面積は、震災前の3.4倍の56k㎡になっていることなどが確認されています。

水平変動量の画像(本震翌日から1年後まで)
(出典:国土地理院ホームページから抜粋)

被災後の生活はどんなだったの?

【ライフライン】
震災後、私たちの生活に不可欠ふかけつな電気・ガス・水道・通信などのライフラインが止まり、非常に不自由な生活をいられました。
電気が点かないので夜は真っ暗、テレビを見ることはできず、携帯電話も充電できません。3月の寒い時期、暖房器具も使えませんでした。
水が出ないので、給水車には長い行列が出来ました。飲み水だけでなく、トイレやお風呂、炊事にも水は必要です。

家庭での備えは?(外部リンク:首相官邸ホームページ)

給水所に長蛇の列(出典:宮城県利府町)

【避難所生活】
地震や津波で自宅に戻れなくなった人々は避難所ひなんじょで生活をしました。避難所は主に自宅最寄りの学校などです。皆さんが通う小学校・中学校も震災時には避難所として活用されます。
避難所では、大人だけでなく子供達も避難所の皆を助けようと力仕事や掃除の手伝いをする姿も見られました。

避難所の様子(出典:岩手県大船渡市)

【物資の不足】
地震や津波で道路・港・空港が使えなくなったため、食べ物飲み物だけでなくありとあらゆる物資が届かなくなりました。
製油所せいゆじょが被災したためガソリンなどの燃料不足も深刻で、自治体庁舎の非常用電源や消防車などの緊急車両の燃料も不足する事態となりました。

高校生による清掃ボランティア
(出典:岩手県山田町)

【支援】
上記のような状況の中、日本中、世界中からお見舞い、応援メッセージ、支援物資、医療支援などをいただきました。
例えば、アメリカ軍は「トモダチ作戦」と名付けた被災地支援で、行方不明者の捜索や仙台空港の復旧支援など多岐たきに渡る活動が行われました。

全国・世界から集まった支援物資
(出典:宮城県仙台市)

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