普代水門は、昭和47年着工から12ヵ年を経て昭和59年に総工費356,000万円で完成された。
和村幸得元村長は、戦後の民選で村長に初当選し、10期40年という長きにわたり普代村のトップとして村の発展に尽力された。昭和8年の津波を経験した元村長は、明治29年の津波で記録された15.2メートルの高さにこだわった。財源や土地の活用に国からも村民からも反対の声が上がったが「二度あったことは、三度あってはならない」と反対の声を説得し、高さ15.5メートルの普代水門と太田名部防潮堤を実現させた。
2011年3月11の東北地方太平洋沖地震では、津波による浸水を最低限に食い止め、村内の人的被害を死者0、行方不明者1に抑え、「奇跡の水門」と呼ばれ注目を集めた。ただし実際には到達した津波は高さ約20メートルで水門を超えており、県道にかかる水門の陸甲(扉)が余震で緊急停止し、間一髪手動で閉めた経緯もある。このことから、「素早く高台に避難することこそが重要である」という教訓を後世に伝承できる施設でもある。
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岩手県下閉伊郡普代村第14地割
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