グスコーブドリの伝記

<あらすじ>
グスコーブドリは、イーハトーブの森に生まれました。ブドリは十になり、妹のネリは七つになりました。その年、七月になっても暑さが来ないため、オリザという穀物(こくもつ)も一つぶもできませんでした。次の年も前の年の通りでした。秋に饑饉(ききん)になりました。春が来たころは、お父さんもお母さんも、ひどい病気のようでした。ある日お父さんは、家を出て帰って来ませんでした。お母さんもお父さんをさがしに行く、と云(い)って森へ入ってしまいました。
ある日戸口で、目の鋭(するど)い男が言いました。
「饑饉(ききん)を救(たす)けに来た。ついておいで。尤(もっと)も二人はつれて行けない。女の子、おじさんと一緒(いっしょ)に町へ行こう。」ネリを抱(だ)きあげて、せなかの籠(かご)へ入れて家を出て行きました。ネリは泣き出し、ブドリも泣きながら森のはずれまで追いかけましたが、とうとう疲(つか)れてばったり倒(たお)れてしまいました。

ブドリが眼(め)をひらいたとき、頭の上で声がしました。
「起きて手伝わないか。」見ると外套(がいとう)にすぐシャツを着た男でした。
「何を?」ブドリがききました。
「網掛(あみか)けさ。てぐすを飼(か)うのさ。こうやるとはしごになるんだ。」男は栗(くり)の木に歩いて行って、下の枝(えだ)に引っ掛(か)けました。
「今度はおまえが、網(あみ)をもって上へのぼって行くんだ。」男はまりのようなものをブドリに渡(わた)しました。
「さっきのまりを投げてごらん。栗(くり)の木ならどれでもいいんだ。」
「いやだよ。うちへ帰るよ。」
「あすこはおまえのうちじゃない。あの家もこの辺の森もみんなおれが買ってあるんだからな。」
その晩(ばん)ブドリは、昔のじぶんのうち、いまはてぐす工場になっている建物の隅(すみ)に、小さくなってねむりました。次の朝早くから、ブドリは森に出て、昨日のようにはたらきました。

一月たっててぐす飼(か)いの男は、板を木に五六枚(まい)ずつ吊(つる)させました。板から虫が糸をつたわって枝(えだ)へ這(は)って行きました。虫は繭(まゆ)を網(あみ)の目ごとにかけました。男は繭(まゆ)を籠(かご)に集めさせました。それを煮(に)て糸をとりました。ある日荷馬車が来て、できた糸をみんなつけて町へ帰りはじめました。
男がブドリに、「来春までここで番をしているんだぞ。」と云(い)って荷馬車について行ってしまいました。ブドリはあとへ残りました。
春になり、またあの男が来ました。次の日から去年のような仕事がはじまりました。ブドリたちが薪(まき)をつくっていたら俄(にわか)に地震(じしん)がはじまりました。
男は「早く引き揚(あ)げてくれ。」そう云(い)ったかと思うと、走って行ってしまいました。ブドリが工場へ行って見たときはもう誰(だれ)も居(お)りませんでした。そこでブドリは、野原の方へ出て行きました。

ブドリは歩きつづけました。森を出たとき、二人の人が云(い)い合っていました。ブドリはおじぎをしました。
「ぼくを使ってくれませんか。」
赤鬚(あかひげ)が笑い出しました。
「よし。おれについていくんだ。」
ブドリは、毎日沼(ぬま)ばたけへ入って泥(どろ)を掻(か)き廻(まわ)しました。二十日たち、オリザの苗(なえ)を植えました。
ある朝、「病気が出た。」主人が云(い)いました。どの葉にも赤い点々がついていました。 沼(ぬま)ばたけには水がいっぱいで、上にはぎらぎら石油が浮(う)かんでいるのでした。
主人が云(い)いました。
「病気を蒸(む)し殺してみるとこだ。」
水下の沼(ぬま)ばたけの持主が、どなりました。
「何だって油など水へ入れるんだ。」となりの男は、かんかん怒(おこ)って、いきなり水へはいって、自分の水口(みなくち)に泥(どろ)を積みあげはじめした。主人はにやりと笑いました。

次の春、主人が云(い)いました。
「死んだ息子の本を勉強して、立派(りっぱ)なオリザを作る工夫をして呉(く)れ。」ブドリは読みました。クーボーという人の本は何べんも読みました。その人がイーハトーブの市で学校をやっているのを知って、行って習いたいと思いました。その夏、ブドリは手柄(てがら)をたてました。オリザに病気ができかかったのを食いとめたのでした。
ところが次の年もその次の年もひでりでした。主人は馬も沼(ぬま)ばたけも売ってしまったのでした。
ある秋の日、主人はブドリに云(い)いました。
「礼をするあてもない。済(す)まないがどこへでも行って運を見つけてくれ。」一ふくろのお金と麻(あさ)の服と赤革(あかがわ)の靴(くつ)とをブドリにくれました。ブドリは六年の間はたらいた沼(ぬま)ばたけと主人に別れて停車場をさして歩きだしました。

ブドリは切符(きっぷ)を買って、イーハトーブ行きの汽車に乗りました。学校をさがしあてたのは夕方近くでした。二階に行きますと、大きな教室が正面にあらわれました。中には学生がぎっしりです。先生は図をどんどん書きました。学生たちもそのまねをしました。ブドリもふところから汚ない手帳を出して書きとりました。
「希望者は試問を受けて、所属(しょぞく)を決すべきである。」ぐんぐん試験が済(す)んで、ブドリ一人になりました。ブドリが手帳を出したとき、クーボー大博士は云(い)いました。
「よろしい。非常(ひじょう)に正しくできている。きみはどういう仕事をしているのか。」
「仕事をみつけに来たんです。」
「面白い仕事がある。名刺(めいし)をあげるから、そこへすぐ行きなさい。」博士は名刺(めいし)をとり出して何か書き込(こ)んでブドリに呉(く)れました。

たずねたところは大きな建物でした。呼鈴(よびりん)を押(お)すと、すぐ人が出て来て室(へや)へ案内しました。少し髪(かみ)の白くなった人が、名刺(めいし)を出しました。イーハトーブ火山局技師(ぎし)ペンネンナームと書いてありました。
「お待ちしていました。ここでしっかり勉強してごらんなさい。」ブドリはペンネン老技師(ぎし)について、一心に働いたり勉強したりしました。
二年たちますとブドリにはイーハトーブの三百幾(いく)つの火山と、その働き具合は掌(てのひら)の中にあるようにわかって来ました。ある日俄(にわ)かにサンムトリという火山が、むくむく器械(きかい)に感じ出して来ました。老技師(ぎし)が叫(さけ)びました。
「 噴火(ふんか)が近い。爆発(ばくはつ)すれば牛ぐらいの岩は熱い灰(はい)や瓦斯(がす)といっしょに、サンムトリ市に落ちてくる。今のうちに瓦斯(がす)を抜(ぬ)くか鎔岩(ようがん)を出させるかしなければ。」二人はすぐに、サンムトリ行きの汽車に乗りました。

二人は観測器械(かんそくきかい)を置いてある小屋に登りました。老技師(ぎし)は云(い)いました。
「十日ももたない。工作隊を申請(しんせい)しよう。」老技師(ぎし)は局へ発信をはじめました。二人はかわるがわる眠(ねむ)ったり観測(かんそく)したりしました。暁方麓(あけがたふもと)へ工作隊がつきますと、老技師(ぎし)はブドリを一人小屋に残して降(お)りて行きました。三日の間は、はげしい地震(じしん)でブドリも、麓(ふもと)の方も眠(ねむ)るひまさえありませんでした。四日目の午后 (ごご)、ブドリは山を下りました。
「始めるよ。」老技師(ぎし)はスイッチを入れました。ブドリたちはサンムトリを見つめました。煙(けむり)はそらいっぱいひろがって、熱いこいしが降(ふ)ってきました。
ペンネン技師(ぎし)は「うまく行った。危険(きけん)はもう全くない。」と云(い)いました。こいしはだんだん灰(はい)にかわりました。夕方みんなは、もう一度山へのぼって、新しい観測(かんそく)の器械(きかい)を据(す)え着けて帰りました。

ブドリは技師心得(ぎしこころえ)になって、火山から火山と廻(めぐ)ってあるいていました。
春、火山局ではポスターを張(は)りました。
「窒素肥料(ちっそひりょう)を降(ふ)らせます。雨もすこしは降(ふ)らせます。今年は心配せずに植え付けてください。」
六月、ブドリは火山の頂上(ちょうじょう)の小屋に居(お)りました。受話器が鳴りました。ペンネン技師(ぎし)の声でした。
「はじめてくれ給え。」ブドリはぼたんを押(お)しました。
「硝酸(しょうさん)アンモニアはもう雨の中へでてきている。量もこれぐらいならちょうどいい。あと四時間やれば、この地方は今月中は沢山(たくさん)だろう。」ブドリはうれしくってはね上りたいくらいでした。この雲の下で昔の赤鬚(あかひげ)の主人もとなりの人も、みんなよろこんで雨の音を聞いている。そしてあすの朝は、見違(みちが)えるように緑いろになったオリザの株(かぶ)を手で撫(な)でたりするだろう、夢(ゆめ)のようだと思いながら雲を眺(なが)めて居(お)りました。

ある日、ブドリが小さな村を通りかかりました。百姓(ひゃくしょう)たちがかけて来ました。寄(よ)ってたかってブドリをなぐりました。気がついて見るとブドリは病院の白いベッドに寝(ね)ていました。
一週間たった午后(ごご)、小使(こづかい)が「ネリという方がおいでになりました。」と云(い)いました。
ブドリは夢(ゆめ)ではないかと思いました。ネリを連れて行った男は、牧場の近くへネリを残して行ったのでした。牧場の主人が可哀(かわい)そうに思って家へ入れていましたが、だんだんネリは何でも働けるようになったので三四年前に牧場の一番上の息子と結婚(けっこん)したというのでした。そして今年は肥料(ひりょう)も降(ふ)ったので、家じゅうみんな悦(よろこ)んでいると云(い)いました。ブドリはどこへ行ったかわからないのでがっかりしていたら、昨日新聞でブドリのけがをしたことを読んだのでやっとこっちへ訪(たず)ねて来たということも云(い)いました。

ブドリが二十七の年、恐(おそ)ろしい寒い気候がまた来るようでした。ブドリは大博士を訪(たず)ねました。
「カルボナード火山島を噴(ふ)かせられないでしょうか。」
「できるが、仕事に行った最後の一人はどうしても遁(に)げられない。」
ブドリは技師(ぎし)に相談しました。
「僕(ぼく)がやろう。」
「この仕事は不確(ふたし)かです。先生がお出でになっては、あとの工夫がつかなくなると存(ぞん)じます。」
三日後、火山局の船が島へ行きました。仕度ができると、ブドリはみんなを帰してじぶんは一人島に残りました。次の日、イーハトーブの人たちは青ぞらが緑いろになったのを見ました。三四日たちますと、気候はぐんぐん暖(あたた)かくなってきて、その秋はほぼ普通(ふつう)の作柄(さくがら)になり、たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖(あたた)かいたべものと、明るい薪(まき)で楽しく暮(くら)すことができたのでした。

とじる