北上川の河川改修の始まりは、坂上田村麻呂が宝亀11年(780)から行った舟運を目的とした低水工事といわれています。その時期すでに原野を切り開いて田畑が耕作され、そのための洪水対策も行われていたようです。
戦国時代が終わり領土が安堵されると、大名は競って新田の開発に取り組みました。それまでの耕地は、取水が行いやすく洪水に対し安全な支川扇状地が中心でしたが、新田開発が進められたことにより、生活の場も徐々に北上川本川の川沿いに移りました。
こうして新田の開発、堤防の工事そして生産された米を舟で運搬するための低水工事が一体のものとして実施されるようになりました。
さらに、明治から昭和初期にかけての北上川第一期改修工事では、治水上の必要から北上川下流の流れを東へ向けるための大規模な開削工事が行われ新旧2つの流れが生まれました。
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