ところで、胆江地区には鬼剣舞をはじめ、黒石寺の鬼子のぼり、鬼っ子の墓(人首丸の墓)など、鬼のつく行事や史跡が数多く残されている。それはなぜなのか。
「それには、まず陰陽道説、そして東北の歴史を理解しなければなりません。
陰陽道というのは、大陸から仏教とともに伝来(6世紀中葉)してきたもので、天文の動きからその方位により吉凶を占い人間社会の動向を察知する、いわば方位占いみたいな思想ですが、その中で疾病や災いをもたらす方角を『鬼門』と言い、それが東北の方角だったのです。
古くから東北地方は豊かな地域で農産品や馬、金、鉄などを多く産出していましたが、それらは東北の先住民である蝦夷と呼ばれる人たちのものでした。それに目をつけた朝廷は、何とか自分たちの領地にしたいと考え、陰陽道説を引用し、東北地方の人々を鬼に仕立てて戦争を仕掛ける口実をつくり、征伐に乗り出したのです」。
それでは、東北全域が鬼の住む地となるはずだが、なぜ北上市や胆江地区にその名残りが多いのだろうか。
「それは、アテルイという八世紀末から九世紀初頭に、胆沢地方一帯を治めていた豪族の存在が大きいでしょう。アテルイは朝廷からの圧力に最も抵抗した人ですが、朝廷の命令で蝦夷征伐に乗り出した坂上田村麻呂と休戦を結び京都まで上ります。しかし、中央の公家たちは『虎を飼って、あばれることを心配するのと同じ』と言って、アテルイを斬首刑にしてしまいます。
また、アテルイ亡き後、この地を治めた安倍氏の存在も大きかったでしょう。安倍氏は、中央の権力に屈することなく抵抗を続けていましたが、安倍貞任(1019〜62)が前九年の役(1051〜62)で源頼義・義家父子に敗れ、一族は滅んでしまいました。その当時、中央の人々が東北の人々をどのように見ていたかというのが良く分かる絵図があります。蝦夷と朝廷側との闘いの絵図なのですが、蝦夷の軍はみな異形のように描かれているんですね(清水寺縁起絵図)」。
お話を聞いていると、なぜか桃太郎の話とだぶってくる。胆江地区は鬼が島で、その鬼が島には財宝がたくさんある…。
「そうですね。まったく桃太郎伝説と同じような見方が、現実にこの地方に対して行われてきたのです。ただし、胆江地区に住む鬼(蝦夷の人々)は、村々を襲って財宝を略奪するような悪いことをしていなかったという点は違いますが」。
 ●鬼剣舞
写真は、鬼郷鬼剣舞(北上市)。鬼の館ホールで行われたもの。
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●鬼子のぼり
黒石寺(水沢市)蘇民祭に行われる祭礼の一つ。数え年7歳の男の子が朝衣をまとい、鬼の面を逆さに背負って、手に斧と槌をもって参拝する。 |
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●蝦夷 「清水寺縁起絵図(室町時代)」の部分拡大(東京国立博物館蔵)
蝦夷が、朝廷に従わない異形の民として描かれていることに注目していただきたい。 |
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●悪路王首級像
アテルイは別名悪路王とも呼ばれていた。寛文4年(1664)に鹿島神社に奉納された。鬼の館には、本物とそっくりの精巧な複製が展示されている。 |
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