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「衣川へ行きましょう。見てみたい場所があります」
そう言った時、ぼくの脳裏には、いつもの歴史素人の妄想が渦巻いていた。
清衡が豊田館に暮らしたのはおよそ十年。その間に鋳物師Xは様々な情報を清衡にもたらし、平泉への遷都(せんと)を決心させたのではないか?
そして、藤原氏が三代の栄華を誇った裏側で、鋳物師X一族は重要な役割を担い続けた。
いや、もしかすると藤原氏を動かしていたのは鋳物師Xだったのかもしれない。
では、その鋳物師Xとは誰か?
ぼくは《金売り吉次》をイメージしている。
吉次は「平治物語」以降の文書に登場するのだが、詳細な記録が残っておらず、伝説上の人物ではないかともいわれる。
しかし――、《金売り吉次》とはまた奇妙な名前だ。
金(きん)は物を買うために使う物で、売る物ではない。金を売るというのであれば、支払われる対価は何になるのだ?
音だけでたどれば《カネウリキチジ》。
キンではなく、カネである。
カネであれば、コガネ、シロガネ、アカガネ、クロガネ。それぞれに“カネ”がつく。
《カネ売り吉次》とは、《鉄売り吉次》なのではないか。
前身は鋳物師であっても、集団の頭領となれば、自らが直接鋳物を造っていたわけではあるまい。腕のいい子や弟子に工房を任せ、頭の切れる子や弟子に経理を任せ、自らは情報の収集と分析、戦略の構築に力を注ぐ。
吉次は京都三条に屋敷を持っていたという。そこを拠点に商売をし、中央の情報を得ていたのだ。
ぼくは《鉄売り吉次》は世襲(せしゅう)であると妄想する。重要な機密事項を扱う立場であり、人脈がモノをいう役割であるから、世襲という形をとるのがベターだ。
清衡、基衡、秀衡に仕え、奥州平泉の繁栄は最高潮を迎える。
もっと妄想を進めれば、奥州平泉は《鉄売り吉次》が裏で動かしていた。
《鉄売り吉次》は三代秀衡の死後に藤原氏跡取りになるべき息子たち国衡・泰衡・忠衡・高衡に《お館様》になるべき力量を見いだせなかった。父である秀衡も四人の息子たちに不安を感じていたことだろう。
ササラ風土見聞録のササラvol.40「蝦夷の末裔 藤原経清・清衛の館義経」でも示したように義経と清衡の生い立ちは酷似している。
そこで、秀衡の後継者として義経を迎え教育し、平氏を滅ぼした。しかし、源頼朝が義経を疎んじたのは誤算だった。
武をもって世を平らげるためには、人・馬・武器とする鉄・組織・情報・物量などが必要であるという。平泉と鎌倉を比べてみれば、やはり物量において鎌倉に歩がある。
《鉄売り吉次》は平泉の滅亡を確信し、義経とともに平泉を脱出し、北に向かった。
裏で強力に国を支えた《鉄売り吉次》を失った奥州平泉は、驚くほどあっけなく滅びるのである。
※ ※
今、《カネ売り吉次》の屋敷跡と言われてきた長者原廃寺跡に立って周囲を見回すと、広々とした田圃が広がっていた。
金売り吉次屋敷跡といわれるこの遺跡は、実は寺の跡であることが判っている。しかし、平泉から衣川にかけてのどこかに、鉄売り吉次の屋敷があったはずだ。
豪商に恥じない大きな館であったろうが、彼はそこを捨てることに躊躇(ためら)いはなかったに違いない。彼は漂泊の民であるからだ。土地と共に滅んだとは思えない。
土地に生きる者は土地に死ぬ。奥州という土地を支配し生きた藤原氏は奥州平泉で滅んだ。それは、日本人が稲作文化を取り入れたために起こった必然である。
一説によると、義経は平泉滅亡の一年前にかの地を脱出していたという。漂泊の民の情報網によってもたらされた鎌倉の動きを読んで、北へ向かったのかもしれない。
義経の北行伝説が真実だとすれば、《鉄売り吉次》一行もその中にいたはずだ。探鉱・製鉄・鋳造・錬造などの専門家集団がいれば、海峡の向こうの蝦夷地でも生活に困ることはなかっただろう。
最終的に《鉄売り吉次》が目指したのは大陸。商人でもある彼が、日本よりも巨大な市場を目指さないはずはない。
ここで一気に妄想を膨らませれば、《鉄売り吉次》の姿はモンゴルに在る。
大陸の覇者チンギスハーンは、人・馬・武器とする鉄・組織・情報・物量によってその大帝国を創り上げた。
特にも、接近戦用の鉄の鏃(やじり)など、大量の鉄の武器が連戦連勝の要であったという説もある。《鉄売り吉次》の得意分野ではないか。
還る土地を持たず漂泊する《歩き筋》である彼らにとって逃亡の旅もさして辛いものではなかったろう。むしろ、蝦夷地や大陸など、山に囲まれた狭い奥州とは違う新しい環境を楽しんでいたかもしれない。
※ ※
頭上を白鳥の一群が鳴きながら飛んでいった。渡り鳥や回遊魚は脳内の磁鉄鉱によって方位を知るという。
磁鉄鉱といえば、製鉄に使う砂鉄や餅鉄なども天然の磁鉄鉱である。渡り鳥である白鳥がそれらに引きつけられて飛来するということはないのだろうか……。
鉄を求め商う《歩き筋》は漂泊に生き漂泊の果てに散る。
白鳥のように奥州を旅立った《鉄売り吉次》は、今でもモンゴルの大平原で瞑(ねむ)っているのかもしれない。
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