【特集】
ササラ風土見聞録
(写真上)冬の早い黄昏時、斜陽に彩られた長者原廃寺跡にたたずむ。耳を澄まし、感覚を研ぎすまして、いにしえからのメッセージを受け止める。
(写真 右)「史跡 長者原廃寺跡」に建つどっしりと存在感ある石の標柱。一見すると何ひとつ残されていない、まさに夢の跡だけに、この石柱だけがこの遺跡を訪ねる目印になる。
(写真 左)標柱の傍らには遺跡の由縁を記した説明板が建っていた。吹きさらしの冷たい風の中、背中を丸めて読むうち、胸の内が熱くなっていくのがわかる。蝦夷の血か。

「衣川へ行きましょう。見てみたい場所があります」
 そう言った時、ぼくの脳裏には、いつもの歴史素人の妄想が渦巻いていた。
 清衡が豊田館に暮らしたのはおよそ十年。その間に鋳物師Xは様々な情報を清衡にもたらし、平泉への遷都(せんと)を決心させたのではないか?
 そして、藤原氏が三代の栄華を誇った裏側で、鋳物師X一族は重要な役割を担い続けた。
 いや、もしかすると藤原氏を動かしていたのは鋳物師Xだったのかもしれない。
 では、その鋳物師Xとは誰か?
 ぼくは《金売り吉次》をイメージしている。
 吉次は「平治物語」以降の文書に登場するのだが、詳細な記録が残っておらず、伝説上の人物ではないかともいわれる。
 しかし――、《金売り吉次》とはまた奇妙な名前だ。
 金(きん)は物を買うために使う物で、売る物ではない。金を売るというのであれば、支払われる対価は何になるのだ?
 音だけでたどれば《カネウリキチジ》。
 キンではなく、カネである。
 カネであれば、コガネ、シロガネ、アカガネ、クロガネ。それぞれに“カネ”がつく。
 《カネ売り吉次》とは、《鉄売り吉次》なのではないか。
 前身は鋳物師であっても、集団の頭領となれば、自らが直接鋳物を造っていたわけではあるまい。腕のいい子や弟子に工房を任せ、頭の切れる子や弟子に経理を任せ、自らは情報の収集と分析、戦略の構築に力を注ぐ。
 吉次は京都三条に屋敷を持っていたという。そこを拠点に商売をし、中央の情報を得ていたのだ。
 ぼくは《鉄売り吉次》は世襲(せしゅう)であると妄想する。重要な機密事項を扱う立場であり、人脈がモノをいう役割であるから、世襲という形をとるのがベターだ。
 清衡、基衡、秀衡に仕え、奥州平泉の繁栄は最高潮を迎える。
 もっと妄想を進めれば、奥州平泉は《鉄売り吉次》が裏で動かしていた。
 《鉄売り吉次》は三代秀衡の死後に藤原氏跡取りになるべき息子たち国衡・泰衡・忠衡・高衡に《お館様》になるべき力量を見いだせなかった。父である秀衡も四人の息子たちに不安を感じていたことだろう。
 ササラ風土見聞録のササラvol.40「蝦夷の末裔 藤原経清・清衛の館義経」でも示したように義経と清衡の生い立ちは酷似している。
 そこで、秀衡の後継者として義経を迎え教育し、平氏を滅ぼした。しかし、源頼朝が義経を疎んじたのは誤算だった。
 武をもって世を平らげるためには、人・馬・武器とする鉄・組織・情報・物量などが必要であるという。平泉と鎌倉を比べてみれば、やはり物量において鎌倉に歩がある。
 《鉄売り吉次》は平泉の滅亡を確信し、義経とともに平泉を脱出し、北に向かった。
 裏で強力に国を支えた《鉄売り吉次》を失った奥州平泉は、驚くほどあっけなく滅びるのである。

※          ※

 今、《カネ売り吉次》の屋敷跡と言われてきた長者原廃寺跡に立って周囲を見回すと、広々とした田圃が広がっていた。
 金売り吉次屋敷跡といわれるこの遺跡は、実は寺の跡であることが判っている。しかし、平泉から衣川にかけてのどこかに、鉄売り吉次の屋敷があったはずだ。
 豪商に恥じない大きな館であったろうが、彼はそこを捨てることに躊躇(ためら)いはなかったに違いない。彼は漂泊の民であるからだ。土地と共に滅んだとは思えない。
 土地に生きる者は土地に死ぬ。奥州という土地を支配し生きた藤原氏は奥州平泉で滅んだ。それは、日本人が稲作文化を取り入れたために起こった必然である。
 一説によると、義経は平泉滅亡の一年前にかの地を脱出していたという。漂泊の民の情報網によってもたらされた鎌倉の動きを読んで、北へ向かったのかもしれない。
 義経の北行伝説が真実だとすれば、《鉄売り吉次》一行もその中にいたはずだ。探鉱・製鉄・鋳造・錬造などの専門家集団がいれば、海峡の向こうの蝦夷地でも生活に困ることはなかっただろう。
 最終的に《鉄売り吉次》が目指したのは大陸。商人でもある彼が、日本よりも巨大な市場を目指さないはずはない。
 ここで一気に妄想を膨らませれば、《鉄売り吉次》の姿はモンゴルに在る。
 大陸の覇者チンギスハーンは、人・馬・武器とする鉄・組織・情報・物量によってその大帝国を創り上げた。
 特にも、接近戦用の鉄の鏃(やじり)など、大量の鉄の武器が連戦連勝の要であったという説もある。《鉄売り吉次》の得意分野ではないか。
 還る土地を持たず漂泊する《歩き筋》である彼らにとって逃亡の旅もさして辛いものではなかったろう。むしろ、蝦夷地や大陸など、山に囲まれた狭い奥州とは違う新しい環境を楽しんでいたかもしれない。

※          ※

 頭上を白鳥の一群が鳴きながら飛んでいった。渡り鳥や回遊魚は脳内の磁鉄鉱によって方位を知るという。
 磁鉄鉱といえば、製鉄に使う砂鉄や餅鉄なども天然の磁鉄鉱である。渡り鳥である白鳥がそれらに引きつけられて飛来するということはないのだろうか……。
 鉄を求め商う《歩き筋》は漂泊に生き漂泊の果てに散る。
 白鳥のように奥州を旅立った《鉄売り吉次》は、今でもモンゴルの大平原で瞑(ねむ)っているのかもしれない。

(写真 1、2)
広大な田圃となっている遺跡内へと、あぜ道づたいに歩み寄ると、ただひたすら何ひとつ残されていない土地に見えていた場所に、整然と並んだ礎石が姿を現した。うっすらと積もった淡雪の中、その石たちは奥州史の謎を解くヒントを物語っているかのようだった。
(写真 3)
遺跡のはずれに、寄り添うように手を合わせていた石の仏さん二人。仄かな夕焼け色に染まって、なんだか少し嬉しそうに見えた。
(写真 4、5)
長者原廃寺跡から10分ほど西の奥に入ったあたりには、かつて「石神の村」と題して紀行した男石、女石がある。この地が古くより蝦夷の聖域だったことがうかがえる素朴な信仰は今も息づいている。
(写真 6)
長者原廃寺跡の眼下を流れる衣川を見つめる。かつて、この地の主や住民たちは、この流れを眺めながら、何を考え、何を決意したのか。壮大なロマンが脳裏に現れては消えてゆく。それは、やがて頭上を渡る白鳥の声で我に帰るまで繰り返された。
 昔から、金売り吉次の館跡と言われていた場所である。
 しかし、発掘調査を行った結果、出土した遺物から寺院跡であるとされた。伝説と発掘調査によって明らかになった事実が大きく食い違い、夢が文字通り夢と消えることは往々にしてある。
 しかし、である。その後の調査で、その寺院は安倍氏が奥州を治めていた時代の本格的なものであったことが判った。
 そして、長者原廃寺の一帯は、安倍頼時の館と推定され、安倍氏奥州統治時代の中心地である。立地は、衣川を隔てて中尊寺と目と鼻の先。ササラVol.38の風土見聞録「石神の村」の磐神社も近い。土塁と礎石が残っており、解説の看板が立っている。
 モノを生産する場合、継続的な売り上げが見込まれる時、業者は一定の場所に定住する。
 しかし、継続的な需要がない場合、業者は次の客を求めて移動を繰り返す。土地に定着する農耕民に対する非農耕民。それが《歩き筋》である。鋳物や鉄工関係では、鋳物師(いもじ)・金屋(かなや)・烱屋(どうや)鉱山師・鍛冶屋。その他に、椀などの木地屋、芸能民、勧進、遊女、薬売りも《歩き筋》と呼ばれる。
 最下層民という身分と引き替えに、彼らは諸役や税の免除や、諸国の交通の自由という特権を持っていた。重宝されるとともに、どこの誰とも知れずに漂泊する民であるから、警戒や差別の対象ともなる。通常の街道も使ったろうが、一般社会の外にある人々であるから、彼らのみが使う道も持っていた。
 歴史上、多数の権力者たちが彼らをスパイとして雇い、財政を支えるために鉱山を開発させた。

■平谷美樹プロフィール

ひらや・よしき。1960年生まれ。金ケ崎町在住。2000年、SF小説『エンデュミオン エンデュミオン』でデビュー。同年、SF小説『エリ・エリ』で第一回小松左京賞受賞。以降、『レスレクティオ』『約束の地』『ノルンの永い夢』など本格SFを発表。また一方で岩手を舞台とした伝奇ホラー小説『聖天神社怪異縁起シリーズ』、実録怪談集シリーズ、少年少女向けの作品などを続々と発表。岩手金ヶ崎から日本全国へとヒラヤワールドを発信し続け人気を博している。近著に、『歌詠川物語』(つり人社)、ショートショート集『時間よ止まれ』(ハルキ文庫)、『銀の弦』(中央公論社)がある。