【特集】 |
※注釈 奈良の明日香村(あすかむら)に似ていると思った。 衣川村の景色である。 緩やかな起伏(きふく)の丘陵地(きゅうりょうち)のそこここに史跡が点在している。周囲の里山は枯葉色。所々に鮮やかな紅葉も残っている。 初冬のある日、ぼくはアラハバキ神を調べるために衣川村を訪れた。これから手がける予定の小説の、準備のためである。 衣川村にある磐(いわ)神社――。現在の祭神(さいじん)は日本武尊命(やまとたけるのみこと)であるが、ここは、奥六郡(おくろくぐん)を支配していた安倍氏がアラハバキ神を祀った神社であるとされている。 色々な解釈をされるアラハバキ神は、伝奇小説(でんき)などでも妖(あや)しい神としてとりあげられる。しかしながら、今回は現実的な観点から調べてみたいと思った。柳田国男(やなぎだくにお)や折口信夫(おりぐちしのぶ)なども客人神(まろうどかみ)とか地主神とか考察しているが、歴史素人平谷美樹(よしき)流のアラハバキ考をしてみようというのである。 実は、ぼくは衣川へ赴(おもむ)いた時点で一つの仮説を立てていたのだった。 現在では足の神とか下半身の神、塞(さい)の神・道祖神(どうそじん)と同様の扱いの多いアラハバキ神は、大和(やまと)の神々に追われおとしめられたのだという説もある。 だが、もともと下半身を表すものが御神体だったとは考えられないか。 ぼくは、現在に伝わるアラハバキ神の祭られ方を、過去の真の姿を知るための縁(よすが)とした。 『アラハバキ神とは、男性と女性の二柱の神で、民を護(まも)る神である。そして、その神は縄文時代から連綿(れんめん)と祀られ続けている』 どうだろう――? アラハバキ神を縄文時代からの神とするならば、縄文の遺物の中に《男女一対》を表したものがあるはずである。 その証拠となる[モノ]にも目星をつけているのだが、それは後述しよう。 と、いうことで、衣川村教育委員会のT氏にお会いして磐神社についての説明を受けた。 お話によれば、安倍氏が磐神社にアラハバキ神を祀ったというのは、正確な記録があるものではないらしい。少しがっかりしながら、案内していただいた。 小高い丘の上の、田圃(たんぼ)の中に磐神社はあった。石造りの鳥居の向こうに、狛犬(こまいぬ)と赤い屋根の拝殿(はいでん)があった。この神社の縁起(えんぎ)を記した看板には明治三十年に拝殿が造られる前までは社(やしろ)を造らない習わしのためにずっと、岩だけがあったのだという。 社を造らない習わし――。 社は大和の神を祀るためのものである。それよりも古い神であれば、社を造らないのが習わしであってもおかしくはない。 磐神社の神は大和以前の神――。がぜん、やる気が出てきた。正確な記録が無くとも、アラハバキ神を祀っていた可能性は高くなる。 磐神社の御神体は拝殿の裏側にあった。 苔(こけ)むした巨大な岩であった。 T氏の説明で、磐神社は《男石大明神(おおいしだいみょうじん)》とも呼ばれていることを知った。そして、もう一つ《女石(おんないし)神社》があり、男石神社と一対だというのである。 うーむ。ぼくの駄説(だせつ)に信憑性(しんぴょうせい)が出てきたではないか。 もちろん、磐神社と女石神社の例一つを取り上げて、ぼくの妄想(もうそう)駄説の優位性を主張するつもりはないが――。 当然、女石神社にも出かけてみた。 女石神社は磐神社の北西方向にある松山寺(しょうざんじ)の境内にあった。現在の祭神は稲葉姫命(いなばひめのみこと)。ここもまた拝殿は造らない習わしがあったのだが、現在は小さな社がある。その背後に御神体の岩があった。男石よりもだいぶ小さい。 さて、先ほど棚上げにしていた[縄文時代にも祀っていた証拠となるモノ]の話である。 男神と女神。それを一対とし、祭祀(さいし)に用いられたと考えられる石器があるのだ。 石冠(せっかん)である。 石冠には色々な形があるが、上部が尖(とが)り、下部に土台がついているものが一般的である。上部の突起が男性性器、土台が女性性器を意味している祭器であると言われている。また、埋葬場所から出土する例もある。 死出の旅路についた愛する者の傍らに「死後も神とともにあれ」と、石冠を置いた。 その石冠がアラハバキではなかったか。 「実は、岩を御神体とする神社がもう一つあるんですよ」と、T氏が言った。 「和我叡登挙(わかえとの)神社といって、延喜式に名前は載っているのですが、正しい読みが判らないんです。ワカエトノという音は明治期に当てられたものなんです」 ぼくたちは和我叡登挙神社に出かけた。 尾根続きの荒沢(あらさわ)神社から見学した。 荒沢神社の拝殿前には道祖神が祀られていた。巨大な石の男性性器がお社の中にあった。小型のものも社の前に何本も並べられていた。そして、その中に、根本部分に女性器を表現した印のあるものを見つけた。まさに石冠である。 ぼくたちは落ち葉の積もった山道を和我叡登挙神社に向かって歩いた。 和我叡登挙神社の御神体である巨岩は、やはり社を造らない習わしがあったそうであるが、現在はその前方に拝殿がある。 そして――、その背後には月山(がっさん)神社が祀られていた。 新しい神を祀る場合、古い土地神は角客人神(かどまろうどがみ)として拝殿や境内の片隅に祀られることがある。荒沢神社の前に祀られていた道祖神同様、和我叡登挙神社もまた月山神社の角客人神のような扱いを受けていた。 ここにも、大和以前の神がおわす。あるいは和我叡登挙神社もアラハバキ神を祀った神社であったのかもしれない。 衣川村は石神の村であった。 その点も、正体不明の石造物が点在する明日香村に似ていた。
衣川は、安倍氏から藤原氏にかけての史跡がたくさん存在する興味の尽(つ)きない村だ。奈良の明日香村のように、天気のいい休日に自転車で回ってみたくなる魅力のある土地である。 磐神社にアラハバキ神を祀った安倍氏は、前九年(ぜんくねん)の役(えき)で滅ぼされた。生き残った者たちは津軽に逃れ安東氏(あんどうし)を名乗る。その後の安東氏の運命にも色々と興味深いことがあるのだが、それも改めて追うこととしよう。 |
男石は黙して語らず |
木もれ陽の中の女石 |
荒沢神社前の道祖神の社 |
磐神社境内の石碑 |
磐神社境内の石碑 |
磐神社の額 |
女石がある松山寺の地蔵さま |
最後の紅葉が鮮やかだ |
和我叡登挙神社の苔むした参道 |
和我叡登挙神社の御神体も巨石 |
古い信仰を感じさせる狛犬 |
正体不明の石器 |
三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)の資料館で見た石棒(せきぼう)がどうにも男性性器に見えて自分の想像力の貧困さに苦笑したのだが、資料を調べてみると考古学者たちも石棒=男性性器と考えているらしいことが判った。石棒は縄文時代前期から造られ初め、後期には小型化していくが、晩期まで造られ続ける。製産や増殖、生命力といったもののシンボルとして祭祀に使われたらしい。《用途不明の石器》には、石棒のほかに、石刀(せきとう)、石剣(せっけん)、独鈷石(どっこいし)、青龍刀(せいりゅうとう)石、石冠(せっかん)、などがある。石刀や石剣は石棒が変形していったという説や、当時ごく少数ではあるが日本に入っていた大陸の青銅器(せいどうき)を模倣(もほう)したという説がある。独鈷石にしても青龍刀石にしても、祭器であろうという説が有力である。そして石冠。縄文時代後期から晩期にかけて。一部、弥生時代に造られたものもある。石冠には色々な形があるが、上部が尖り、下部に鏡餅状の土台がついているものが一般的である。 上部の突起が男性性器、下部の土台が女性性器を意味している祭器であると言われている。 |
冬を待つ衣川風景 |
■平谷美樹プロフィール ひらや・よしき。1960年生まれ。金ヶ崎町在住。 2000年、SF小説「エンデュミオン エンデュミオン」でデビュー。同年、SF小説「エリ・エリ」で第一回小松左京賞受賞。以降、「レスレクティオ」「約束の地」「ノルンの永い夢」など本格SFを発表。また一方で岩手を舞台とした伝奇ホラー小説「聖天神社怪異縁起シリーズ」、実録怪談集シリーズ、少年少女向けの作品などを続々と発表。岩手金ヶ崎から日本全国へとヒラヤワールドを発信し続け人気を博している。近著に胆沢郡の架空の町を主要舞台とした「聖天神社怪異縁起 壷空」や実録怪談集シリーズの「百物語 第三夜」がある。 |
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