知られざる胆江の偉人たち

小野寺直助(おのでらなおすけ)【1883〜1968】


消化器病の世界的権威(けんい)(うた)われた
医学界の重鎮(じゅうちん)
知られざる胆江の偉人たち


 小野寺直助は、前沢の三沢藩士として代々医業を継いだ与三郎(謙良)の五男として、明治16(1883)年5月に、前沢町目呂木長檀に生まれました。

 旧制盛岡中学校、第一高等学校を経て、京都帝国大学福岡医科大学へ進学。旧制盛岡中学校の同期生には、郷古潔(三菱重工社長・水沢出身)や金田一京助(言語学者)、野村胡堂(作家)などがいました。

 30歳の若さで、九州帝国大学医科大学の教授に就任。消化器の研究に尽力し、胃運動曲線照射法で、恩賜金記念賞を授与。「胃運動曲線に関する研究」「圧診法に関する研究」は、医学会不滅の業績とされています。

 その後、九州帝国大学医学部長、同温泉治療研究所長、日本内科学会会頭、日本学士院会員などの要職を歴任し、昭和38(1963)年文化功労者として、顕彰されます。昭和40(1965)年に名誉町民となり、昭和43(1968)年11月3日、享年85歳でこの世を去りました。

 生涯、医学の道を貫き、消化器系の独創的な研究は、いまなお高く評価されています。

[Vol.34 INDEX] 
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