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寿安堰の生みの親として、胆沢平野の開墾に大きな功績を残した後藤寿庵。寿庵は、慶長17(1612)年から元和9(1623)年までの12年間、現在の水沢市と胆沢町の一部の領地を治めていましたが、水不足に苦しむ領民の姿を見かね、私財を投じて胆沢川の水を引く用水堰の開削に尽力します。しかし、熱心なキリスト教信者だった寿庵は、年々厳しさを増す切支丹弾圧から逃れるため、堰の完成を待たずして逃亡を図ります。
農民の悲願だった用水堰は中断を余儀なくされましたが、寿安の意志を受け継いだのが、関村(現・前沢町)の千田左馬父子と、目呂木村(現・前沢町)の遠藤大学でした。千田と遠藤は、よき弟子として働き寿庵から用水土木技術を学んでいたため、彼らの指導の元、およそ17キロメートル分の工事が進められ、寿安堰は寛永8(1631)年に完成しました。

▲前沢町のお物見公園内にある、千田左馬と遠藤大学の功績を記念して建立された記念碑。 |
寿安堰は、後藤寿庵の功績もさることながら、千田左馬と遠藤大学の働きなくして完成し得なかったといっても過言ではないでしょう。
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