【特集】
胆江地区に残された伝承・伝説を見直そう



胆江地区に暮らす人なら、必ずといっていいほど 一度は聞いたであろう掃部長者と佐用姫の物語。

ストーリーの真偽は別として胆江地区内には、この物語にまつわるゆかりの地が多数残されています。

今回は、これらの地を訪ね歩きながら、 佐用姫伝説のあらましをご紹介いたします。


松浦佐用姫とは誰?

 物語の主人公の1人である佐用姫にまつわる物語は、肥前国松浦郡(現在の佐賀県唐津市・伊万里市・東松浦郡)に多く分布しています。その1つ『百済救済を命じられた大伴狭手彦が遠征の途上に佐用姫を妻とし、佐用姫は出征のために船出する夫を見送るため領巾を降り嘆き悲しんだ。その後、あまりの悲しみに石になった』という説や、『沼の蛇に引き込まれ死んだ』などという後日談と結合し、様々な物語を生んでいったようです。この話は全国的にも多数存在しており、小夜姫、佐夜姫、小夜媛といった字で書かれている場合もありますが、これらの多くは「佐用姫」と同じ人物と考えられています。

 一方、掃部長者は、奥州胆沢(胆江地区)の領民を愛する優しい長者様として、また長者の妻は強欲で情けのない女性として描かれています。そして、強欲のあまり大蛇となり村人を苦しめ、さらには毎年美しい娘を生け贄として差し出すよう脅します。その生け贄として、肥前から買われたのが佐用姫ということで、異なる地域の人が物語の中でつながります。

 佐用姫は生け贄となるために、はるばる九州から旅をして胆沢の地までやってきます。その旅の途上、立ち寄った先で詠んだ歌や行動に対する様々なエピソードが各地に残されています。

胆江地区にある 佐用姫ゆかりの地

 胆江地区内にも、ゆかりの地とされる場所が数多くあります。それらの一部は今も地名として使われているものもあります。胆沢町史によると、高山(稲荷社)、上幅、北下幅、満倉、釜石、車堂、心月寺、高山ノ清水、釜ノ口、富堂、横枕、桑ノ木田、角懸観音、潟岸薬師堂、尼坂、垢川、化粧坂、見分森、四ッ柱、角塚、大塚、駆上り、虚空蔵堂、附ヶ森(抔ヶ森)、南宿、泣き坂、清水屋敷、中崎、徳沢、磐井川、栗原野、休塚などがあると記されています。

 架空の物語と現実の地名が重なり合って共存しているのは、ちょっと不思議な感じですね。

物語から見えてくる 胆江地区の姿

 地名には、例えば地形や歴史的な出来事を表しているなど、何らかのエピソードやメッセージが隠されているということは、ササラでも度々ご紹介してきました。

 この物語に登場する人物や内容が、果たして事実に基づいて構成されているのかどうかはわかりませんが、佐用姫にまつわるゆかりの地名が日常生活で使用されていることは事実です。

 この物語を心の片隅に置いて、これらのゆかりの地を訪ね歩いてみると、きっと新しい地域の姿が見えてくるでしょう。みなさんも一度、胆江地区の佐用姫伝説ゆかりの地を訪ね歩いてみてはいかがでしょうか。



 佐用姫にまつわる地名・遺物(地名は、現在の地名を使用しています) 

四ツ柱
(胆沢町南都田字四ツ柱)
佐用姫を生け贄に供するため、4本の柳の柱を組んだと言われる場所。この地区内には、地元の方が私費を投じて佐用姫を祀った小さなお堂があります。

▲化粧清水
(胆沢町南都田字化粧坂)
佐用姫が水に姿をうつし化粧をしたという清水。このエピソードは、宮城県古川市にも残されています。
◆見分森(水沢市見分森)
四ツ柱に向かう途中、この森を登って大蛇が住むという止々井の大沼を眺め確認したということから「見分森」と呼ばれるようになったと伝えられています。

◆角塚(胆沢町南都田字塚田)
角塚古墳のことで、佐用姫の法華経読経の功徳によって折れた大蛇の角が、江刺市玉里の角掛森まで飛んでいき、その後ここに葬られたと伝えられています。


角掛森(江刺市玉里)
折れた大蛇の角がここまで飛んできたと言われている森。

泣き坂(水沢市真城)
生け贄を祀るための地である胆沢町四ツ柱に向かう途中、佐用姫が泣きながら登った坂。現在は、泣き坂がなまって「ナカサキ(中崎)」という地名に変化しています。

▲垢取り石(胆沢町南都田宝寿寺境内)
宝寿寺の南を流れる垢川のほとりの石に腰掛け、佐用姫が手足を洗い清めたということから「垢取り石」と言われています。

久須志神社

化粧坂(胆沢町化粧坂)
化粧清水のある久須志神社脇の坂。


 肥前の松浦の長者夫婦には子供がなく、大和の長谷寺の観世音に子種を授けて下さるよう祈願して、ようやく女の子(のちの松浦佐用姫)に恵まれた。

ところがお告げには、この子が4歳になると夫婦のうちの1人が亡くなるとの条件であったが、7歳になっても何事も起こらなかった。春の花見酒に酔っていた長者は「佐用姫が4歳を過ぎてもう7歳にもなった、長谷寺の観世音様は嘘をつく仏であるな」とあざけ笑った。ところが間もなく天罰であるのか、長者は病死し家は没落した。

その後、年月が過ぎて、今年は長者の13回忌にあたるが、母と娘の佐用姫は父の供養をしたいが落魄の身では金もなくそれもできない。娘は進んで父の供養のため身を売ることになる。一方、奥州胆沢の高山に掃部長者という長者夫婦があった。長者の妻は、どん欲でしかも情けというものをひとかけらも持っていなかった。長者の家は没落し、妻は大蛇と化身した。大蛇になってさらに人身御供を要求し、胆沢の村人を困らせた。困り果てた村人は集まって協議し、その大蛇に毎年美しい娘を人身御供に捧げることになり、その番に当たったのが胆沢の郡司兵衛義実の娘であった。義実はかわいい娘の身替わりにどこかよその娘をと考え、娘買いに旅立ち、はるか九州の松浦の里で佐用姫を買い求めて、奥州胆沢の姉体お志津(清水)に戻った。

佐用姫は買われて胆沢にきて、身替わりの人身御供となる。あわや大蛇に一呑みにされようとしたとき、姫の読経の法力によって大蛇は折伏された。そこで姫は義実に暇を乞い肥前に帰って母とめぐり会い、父の供養も心残りなく果たし、竹生嶋弁財天となって近江国に現れたという。