【特集】 鹿踊りのルーツと独特の装束の謎に迫る
本紙のタイトル「ササラ」は、鹿踊りの装束の一つであるササラにちなんで命名しました。ところで、鹿踊りは、なぜ?どうして?今日のような形で舞われるようになったのでしょうか。 そこで、今号は鹿踊りのあれこれについて迫ってみました。 自然を敬う気持ちを踊りに込めて 岩手の鹿踊りは、県北の久慈市や二戸市から県南の一関まで、ほぼ全県に分布する岩手を代表する郷土芸能の一つです。特に、我が胆江地区では盛んで、江刺市は岩手の鹿踊りの代表といっても過言ではないでしょう。 ![]() 鹿は、神の使いとして古くから信仰の対象とされてきました。ゆえに、山の猟師が鹿狩りをするときその祟りを畏れ、鹿の魂を供養したことから鹿の頭をつけて舞われるようになった、ということなのかも知れませんね。それは、昔の人が、自然に対して深い畏敬の念を抱いていたことの証でもあるのではないでしょうか。 胆江地区だけでも約25の団体が鹿踊りを継承し守り続けている 鹿踊りは、盆や秋祭りの際に神社の境内や民家の庭で踊られることが多く、五穀豊穣、念仏供養といった祈りが込められています。 岩手の鹿踊りは、大きく分けて「太鼓踊系鹿踊」と「幕踊系鹿踊」とに分類されます。胆江地区の鹿踊りは、「太鼓踊系鹿踊」に属しています。その特徴は、身につけた太鼓を打ちならしながら囃子に合わせ、8頭〜12頭が一組となり「仲立」と呼ばれるリーダーを中心に、踊りが展開されるというものです。 岩手県内にある鹿踊りの伝承団体は、およそ150団体にものぼり、胆江地区では主だったものだけでも25団体あります。 ■胆沢地区の主な鹿踊りとその継承団体
※参考/淡路人形と岩手の芸能集団(門屋光昭著) ※資料提供・協力/北上市立鬼の館 類希なる美しい鹿踊りをいつまでも 鹿踊りの装束の最も特徴的とも言える「ササラ」は、一見すると鹿の角のようにも思えますが、頭にはちゃんと立派な2本の鹿の角があります。ですから、「ササラ」は鹿の角ではなく、「腰差し」、「腰竹」、または「ヤナギ」とも言い、おそらくは御幣(神具の一つで、神の結界を示すもの)を象徴していると考えられています。 装束は全部で約15キログラムもの重さがあり重労働ですが、鹿踊りが舞われるとき、「ササラ」が時にしなやかに、また時に猛々しくうち振るわれるその姿を見ていると、鹿の動きのような流麗さと躍動を感じることでしょう。 我が胆江地区には、このような勇ましくも美しい踊りがあるのです。鹿踊りは日本のみならず世界にも誇れる郷土の遺産ではないでしょうか。近頃は、郷土芸能の伝承が地域の小学校をはじめ各地で活発に行われていますが、ぜひともこのすばらしい郷土の遺産をいつまでも守り続けていきたいですね。 |