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■水防工法の歴史

◇日本の地形と水害
 日本の国土は細長い地形の中央に高い山脈が連なり、平野が少ないことから、川は高地から平地へ一気に下る傾向があります。また、多くの都市は少ない平野部に集中しています。こうした日本の自然環境は洪水等による災害を受けやすいため、歴史的にも古くから水害への対策が行われてきました。文献によると、最も古くは4世紀に仁徳天皇が淀川下流の浚せつと護岸工事を実施したことが記録されています。そして、現在でも調整池の設置や河川の拡幅などの治水対策とともに、被害を最小限に食い止めるために水防活動が行われています。日本において、水害への対策は多くの人命や資産、ひいては社会を守るために不可欠な技術といえるでしょう。

◇水防活動の役割
 水防活動は治水事業とともに水害対策の両輪を担ってきました。治水事業が完遂までに相応の時間と巨額の費用がかかるのに対し、水防活動は応急対策として比較的少ない費用で大きな効果が得られます。こうした水防活動は元々、村落等を中心とした伝統的な自治組織によって運営され、発展してきました。目の前の被害を食い止めるため、短時間に多くの人を要する水防活動は、地縁的な連帯をもつ住民組織に適していたのです。また、その工法も幾多の洪水体験を通じて創意工夫・改良がなされて今日に伝えられています。

◇水防組織の変遷~戦前~
 従来、自治的住民組織のみであった水防組織に大きな変化をもたらした契機は、明治時代、日本が中央集権的国家体制への道を歩み始めたことによります。
 明治21年施行の市町村制では水防事務を市町村の自治事務とし、国家の統制の下に水防を位置づけています。しかし、従来の伝統的な水防活動の実態も尊重する立場をとり、明治23年に制定された水利組合条例では、水防組織を水害予防組合として法制化し、従来からの伝統的な水防組織が水害予防組合に容易に移行できるような措置が講じられました。一方、消防・水防の組織を国家行政組織の一環として確立する必要から、明治27年の消防組規則では府県知事が必要に応じて水防組を設置できることが規定されており、事実上、水防活動は地縁的に発達してきた自治的水防組織と、国家行政組織としての官設的水防組織の二つの系統によって行われることとなります。
 その後、明治29年には河川に関する基本法として旧河川法が制定され、水防に関する第1次的責任を負う知事らの指揮・命令の下に、市町村・町村組合および水利組合(水害予防組合)等に水防の義務を課するという、中央集権ながらも積極的な体制が確立されます。

◇水防組織の変遷~戦後~
 昭和20年に終戦を迎えたのを契機に、日本の行政組織は中央集権から地方自治の確立へと転換を図りました。それに伴い、昭和22年に消防組織法、昭和23年に消防法が施行され、消防団が設置されました。消防団は地方自治組織として設立し、消防と水防の責任を担う組織と規定されていましたが、火災に重点を置いた任務であることや、旧河川法等、消防法によらない既存の水防組織が存在することなど、法体制上の問題を含んでいました。
 時を同じくして、終戦直後には相次ぐ大規模な台風による水害が続発し、なかでも昭和22年9月15日のカスリーン台風は、高さ9.15mを誇る利根川の第堤防を欠壊させ、濁流が東京を襲う大惨事となりました。多くの死者、倒壊・流出家屋、浸水家屋等の被害から。この時改めて水防の重要性が認識され、昭和24年には水防法が制定されます。この水防法の制定により、水防は一つの法制に統一され、幾度かの改正を経て今日に至っているのです。

出典:(社)建設広報協議会「日本の河川」

主催 東北地方整備局/秋田県/大曲市等31市町村
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国土交通省 東北地方整備局 湯沢河川国道事務所 調査第一課
TEL 0183-73-3174(代)

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