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川に関するお知らせ

 

雄物川あれこれ

1999.11.1 更新

リード

 『雄物川』その名の由来
今の雄物川が、「雄物川」として記録に書かれはじめたのは江戸時代になってからのことで、それより前は、「仙北河」または「秋田河」とよばれていました。ですが、江戸時代でも「雄物川」、「男物川」、「面川」、「食川」、「御物成川」、「御貢川」というように、役目や性格をいい表したようないろんな名前がありました。明治時代に入り、「雄物川」にほぼ統一されました。「御物成」、「御貢」は年貢のことで、「年貢を運ぶ川」という意味がありました。

 

雄物川舟運の様子(深井八幡神社)
 『雄物川』の概要

雄物川流域図

秋田県には、雄物川の他にも米代川、子吉川という大きな川があります。その中でも一番大きいのが雄物川です。
雄物川は、山形県との境にある標高920mの「大仙山」に源を発し、役内川、皆瀬川、西馬音内川、横手川、玉川など160もの支川と合流して日本海に注ぐ、幹線流路延長133km(全国30位、東北6位)の一級河川です。流域面積は、秋田県の総面積の約40パーセントにあたる4,710km
2(全国13位、東北4位)で、流域には4市20町7村のまちがあり、およそ70万人の人々が暮らしています。
 雄物川の伝説

亡霊の船渡し

 
雄物川に架かる泉沢橋のあたりに、昭和11年(1936年)に吊り橋ができるまで渡船場があった。昭和の初め、ここで渡守をしていたのは辰蔵という老人だったが、ある冬の夜、10時を過ぎて人通りもなかったので小屋に戸締まりをして寝床についた。
とろとろとした時、「ホウホウ」と呼ぶ声に目をさまし、外に出てみるとどうやら向こう岸に誰かいるらしい。凍てつく綱をたぐり向こう岸に着いてみると、どうしたわけか誰もいない。
はてさて夢でも見たかと小屋に戻ってうとうとすると、またもや呼ぶ声がする。再び船を渡したがやはり人はいなかった。辰蔵はその時、ブルッと身震いした。それは、どこかで死人が出ると亡霊が渡しを頼むという「亡霊の舟渡し」に違いなかった。はたして翌朝、泉沢から他の村へ嫁いだ老婆が死んだということで、その使いの者が二人渡し場にやってきたという。

 空から眺める雄物川
高松川合流点付近
雄物川航空写真

泉沢橋の下流で高松川(写真左)が合流している様子です。

 

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