管内の歩み

新庄国道維持出張所管内の国道13号、国道47号におけるこれまでの主な改築や災害の記録をご紹介します。

昭和28年(1953年) 国道13号一次改築着手

かつて参勤交代や経済文化の交流に活用された羽州街道は、明治初期に初代県令三島通庸により改修され、荷馬車通行が可能な道路になっていった。
しかし昭和12年以後は時局の急迫により道路事業は行われず、戦後の道路状況は、2車線で通行可能な道路は新庄市内の一部だけで、ほとんどがすれ違いも容易ではなかった。
また、主寝坂峠(金山町と真室川町の間にある峠)や猿羽根峠(尾花沢市と舟形町の間にある峠)などの難所が交通機能の障害となっていた。
昭和27年政令477号により一級国道13号に指定され、昭和28年より県内の国道13号一次改築事業がスタートした。


新庄市五日町(一次改築前)


真室川町及位(一次改築前)

昭和35年(1960年)10月6日 国道13号主寝坂峠改良工事完成

昭和30年度から、国道13号で最大の難所、主寝坂峠の改良に着手した。
現道は狭小にして峻険を極め、山形〜秋田を結ぶ交通上の重要路線にもかかわらず全く未改修の状態で、自動車交通はほとんど不可能な状態であった。
当該地区は多雨豪雪地帯であり、降雨融雪時には地滑り崩落が相次ぎ、施工にあたっては湧水の処理や法面の安定などに苦心した。
昭和35年10月6日に開通式が行われ、来賓約200名、一般地元住民、中小学生が参加した。


主寝坂峠位置図


工事中の主寝坂トンネル(金山側坑口)

昭和37年(1962年)5月25日 国道13号猿羽根(さばね)峠改良工事完成

猿羽根峠は、明治初期に初代県令三島通庸により開削されて以来80年余りほとんど改修の手が加えられず、通称「七曲がり」と称される難所であった。
昭和33年度から猿羽根峠の改良に着手し、昭和34年12月から猿羽根トンネルの工事に着手した。
トンネルの地質は軟弱層で多量の湧き水に悩まされ、地山の緩みを防ぐため火薬類は使用できなかった。
昭和37年5月25日に竣工式が行われ、関係者450人が列席した。
走行時間は3分の1に短縮され、従来は冬期豪雪により3〜4ヶ月も交通が途絶え村山地方と最上地方を隔絶していた難所は解消されることとなった。


竣工した猿羽根トンネル(新庄側坑口)


猿羽根峠位置図

昭和38年(1963年)国道47号一次改築着手

新庄〜酒田間は、江戸時代は主に最上川舟運により最上紅花や米など多くの物資が行き来し、松尾芭蕉も本合海から清川まで舟で下っている。
明治11年6月に古口と清川を結ぶ最上川左岸に沿う道路(磐根新道)が完成し、陸路の輸送が主体となっていった。
しかし、道路は最上川の直接河岸と高さ200〜300mの急峻な山に挟まれており、冬期間は積雪、雪崩により交通は途絶し、夏期間でも道路が未整備のため自動車交通は難渋するという状態にあった。
このため昭和37年度の直轄編入と同時に計画線調査に着手、翌38年度から改築に着手し、工事の進捗を図った。


戸沢村外川(一次改築前)


戸沢村揚巻(一次改築前)

昭和41年(1966年)国道13号一次改築完成

昭和28年から進められた国道13号の一次改築は、主寝坂峠の改築を第一着手として、猿羽根峠、上台峠と順次峠道の改築を進めていった
新庄盆地においては昭和36年度から舗装を開始し、昭和39年度に完成させた。
金山町以北の改築は、地形的に険しいうえ随所に地すべり地帯を抱えており、現道改修の最も制約をうけた区間であったが、このような状況を打開し昭和40年度には全線舗装の自動車交通に相応しい道路に生まれ変わって一次改築が完了した。


金山町金山橋付近(昭和40年当時)


金山町中田(昭和40年当時)

昭和42年(1967年)12月15日国道13号新庄バイパス(新庄市鳥越~泉田)供用

昭和30年代に入ると経済の発展とともに自動車交通量も急速に増大し、車両も大型化していった。
新庄市内の国道13号は昭和30年から昭和38年にかけて一次改築は終わっていたが、国鉄線路との平面交差が3箇所、直角曲がりが7箇所もあり激増する自動車交通に国道としての機能が発揮できず、円滑な交通を阻害していた。
このためバイパスの要望が早くから強く、昭和41年度から工事に着手し、昭和42年12月15日に暫定2車線で全線供用した。


供用当時の新庄バイパス


新庄バイパス位置図

昭和42年(1972年)国道47号一次改築完成

新庄市内から戸沢村古口までの改良は工事を順調に進捗させることができた。
しかし戸沢村古口から揚巻までの現道は最上川沿いにあり、山岳部特有の幅員狭小と屈曲部が多く、迂回路がないという現場条件により一般の交通を通しながらの施工となったため大型機械の投入も制限され、さらに並行する最上川と国鉄線という厳しい制約があって、あらゆる面で苦労の多い工事であった。
しかしながら本路線は早期完成が宿望されていたこともあり、冬期間も厳しい気象条件と戦いながら工事を続け、昭和47年度に改良、舗装工事の完成を見た。


戸沢村蔵岡


戸沢村猪ノ鼻

昭和50年(1975年)8月6日 県北集中豪雨

昭和50年8月5日夜から雨となり、翌6日朝方には山形~秋田県境において激しさを増し、金山町主寝坂地内において時間雨量60mmの大雨が3時間も続くという山形県北部としては過去に例のない記録的な豪雨となった。
このため国道13号の金山町日当地内から秋田県境までの14.5kmの区間で大小24箇所の災害が発生し、特に主寝坂トンネルより120m程北方の高盛土区間では土砂が流出し道路の面影をとどめなくなるなど、被害総額約3億5千万円にのぼる被害を受ける結果となった。
仮道をつくるなど不眠不休の応急復旧により、6日目で一般通行を供用し東北内陸部の幹線道路の交通を確保した。


土砂で埋塞した主寝坂トンネル(金山側坑口)


土砂に押し流されたバスと乗用車

昭和52年(1977年)8月6日 国道47号(戸沢村黒淵)地すべり発生 

昭和52年8月6日、国道47号戸沢村黒淵地内で地すべりによる道路決壊が発生した。
通行の安全確保を先決し、直ちに路面段差を補修して片側通行で交通確保を図ったが、折悪しく8日未明から降り出した雨は夕方になって一段と雨足を強め大雨警報となった。
雨による地すべり進行のおそれがありこれ以上の通行は危険と判断、8日20時に全面通行止めとなった。
お盆の帰省ラッシュがピークとなる12日早朝までには規制を解除したいと、現地では昼夜兼行の作業が進められ、11日13時に抑止杭の打込みが完了し地すべりが小康状態となったことから片側通行で交通を開放した。


国道路面上に発生した滑落崖


応急対策の抑止杭打設

昭和63年(1988年)11月28日 国道47号本合海(もとあいかい)高架橋完成供用

国道47号新庄市本合海字元畑地内では、最上川の増水によってたびたび国道47号が冠水し、全面通行止めとなっていた。
新庄と庄内間の幹線道路のストップを防ぐため本合海防災事業が計画され、5年の歳月をかけて完成し、昭和63年11月28日に地権者、関係者約100名の出席のもとに開通式が行われた。
これにより最上川の増水による交通ストップが解消され、歩道もつながり通行者の安全に寄与するものとなった。


事業前の国道の冠水状況


建設中の本合海高架橋

平成4年(1992年)9月24日 国道47号亀割バイパス(舟形町長沢~新庄市鳥越)供用 

現道区間は急峻な地形に阻まれ道路線形が悪く、また舟形町から新庄市までの区間が交通量の多い国道13号と重複していたため、重複区間での交通混雑、沿道環境の悪化が問題となっていた。
このような諸問題を解消するため亀割バイパス事業が昭和49年に着手された。
不安定な真砂土のため切土法面が崩落するなど工事は難行したが、昭和62年1月26日に長尾トンネルが貫通し、平成4年9月24日に19年の歳月を経て完成供用された。
これにより所要時間が21分から11分と約2分の1に短縮され、日本海側と太平洋側を結ぶ東北横断幹線ルートの定時性、走行性が確保された。


掘削中の長尾トンネル


開通式


亀割バイパス位置図

平成11年(1999年)11月27日 国道13号尾花沢新庄道路(尾花沢市毒沢~新庄市松本)、国道47号新庄南バイパス(新庄市松本~鳥越)供用

尾花沢市~新庄市間は昭和30年代の一次改築のままで幅員も狭く、交通量の増大や車両の大型化により交通混雑はもとより沿線の生活環境の悪化など様々な問題が顕在化してきていた。
このような諸問題を解消するため、昭和61年度から舟形バイパスとして事業着手した。
その後、一日も早い高速交通体系の実現を図るため、尾花沢新庄道路と事業名を変更し高規格な道路としての機能を持たせた整備を進めた。
平成11年11月27日に尾花沢新庄道路の一部区間と新庄南バイパスの一部区間が同時に開通の運びとなり、舟形ICにおいて関係者約160人が出席し部分開通式が行われた。
尾花沢新庄道路は最上地方で初めての一般国道の自動車専用道路であり、新庄南バイパスは山形県で初めての地域高規格道路である。
開通により走行時間が約10分短縮され、平成11年12月4日の山形新幹線新庄延伸と連携し、行動範囲の拡大と時間の有効活用が図られた。


掘削中の舟形トンネル


開通式


尾花沢新庄道路位置図

平成12年(2000年)3月24日 国道13号及位(のぞき)トンネル開通 

従来の及位トンネルは漏水や老朽化が目立ち始め、また幅員が6mと非常に狭く、大型車同士のすれ違いが困難な上、カーブトンネルのため交通事故も頻発し、通学路にも指定されていることから、交通安全上早期の隘路区間の解消が必要となった。
昭和63年度から及位トンネル改良事業に着手し、13年の歳月を経て完成した。
トンネル断面の拡幅によりゆとりをもった対面通行が可能になり、広い歩道の整備により歩行者の安心安全な通行が確保され、トンネルの線形改良によりトンネルの見通しが良くなるとともにカーブによる速度低下が緩和され、快適な走行が確保された。


すれ違いが困難だった旧トンネル


新しい及位トンネル

平成14年(2002年)5月25日 国道47号新庄南バイパス全線開通

国道47号の新庄市南部を東西に通過する区間は、近年、交通量の増大や車両の大型化、さらに市街化や産業の開発・発展により、年々交通環境が悪化し、随所で交通混雑が生じ、沿道の生活環境の悪化や冬期間の積雪による交通状況の悪化など様々な問題が顕在化していた。
このような諸問題を解決し、さらに最上地方発展の最重要事業である新庄中核工業団地開発と一体となった整備を行う目的で昭和63年度に新庄南バイパスとして事業化され、平成4年度に工事着手した。
平成11年11月27日に新庄市鳥越~松本までの区間を供用していたが、平成14年5月25日に残区間が開通し、新庄南バイパス全線が開通となり、地域高規格道路として開通式が行われた。


開通式


新庄南バイパス位置図

平成16年(2004年)7月17日 梅雨前線による大雨

平成16年7月17日、東北南部に停滞していた梅雨前線の影響で県内は17日の午後まで雨が継続的に降り続き各地で被害が拡大した。
金山雨量観測所(金山町金山)で連続雨量193mm、主寝坂雨量観測所(金山町主寝坂)で連続雨量188mm、猪ノ鼻雨量観測所(戸沢村猪ノ鼻)で連続雨量178mmを記録した。
尾花沢新庄道路では新庄市鳥越地内で法面が崩れ、約9時間全面通行止めとなった。
また、国道13号真室川町及位地内や国道47号戸沢村蔵岡地内では道路の冠水により一時全面通行止めになるなど、管内で大小19箇所の災害が発生した。


尾花沢新庄道路 法面崩れ(新庄市鳥越)


国道13号 冠水 (真室川町及位)

平成17年(2005年)2月1日 強い寒気による大雪

2月1日未明より降り続いた雪は、24時間降雪で110cm(戸沢村古口地内)という、日降雪深としては、観測を開始した昭和55年度以降、最大の記録となった。
降雪量が記録的であったことから大型車の通行不能車による交通障害が断続的に発生し、早朝にかけて徐々に後続車両が渋滞、除雪作業に影響が出るとともに、後続の車両が次々に立ち往生したことから、午前8時30分新庄市鳥越~戸沢村草薙(約35km)において、全面通行止めとし、通行不能車両を排除するとともに、除雪作業を効率的に行うこととした。
通行止め区間内には、チェーン未装着の大型車が数多く残されていたため、それらの車両を区間外に誘導する必要があり、除雪作業に長時間を要した。
その後、20時00分に戸沢村古口地内(古口駅付近~角川橋間約1.5km)の片側交互通行に移行し、24時00分に全面開放となった。


通行不能となった大型車(戸沢村古口)


チェーン装着中の大型車(戸沢村古口)

平成17年(2005年)11月5日 国道13号主寝坂道路(金山町中田~真室川町及位)供用 

国道13号の金山町主寝坂峠付近は、幅員狭小、急カーブ、急勾配が連続し、また、大型車のすれ違いが困難で老朽化の著しい主寝坂トンネルや通行規制(連続雨量150mm以上)の指定区間があるなど、国道13号最大の隘路区間となっていた。
そのため、これらの諸問題を早期に解決し、広域的な交流・連携の促進、主要幹線道路としての機能確保・向上を図ることを目的に、平成8年度より事業化、平成12年度より工事に着手した。
整備効果を早期に発現させる観点から、国道13号と交差する位置で2区間に分割し、通行規制区間及び主寝坂トンネルを含む区間を優先的に整備を進め、平成17年11月5日に金山町中田~真室川町及位の区間が部分開通の運びとなったので開通式が行われた。


大型車同士のすれ違いが困難な
主寝坂トンネル


新主寝坂トンネルを
バックに開通式


主寝坂道路位置図

平成18年(2006年)11月19日 国道13号尾花沢新庄道路(尾花沢市野黒沢~毒沢)供用

国道13号尾花沢新庄道路は、広域的な交流・連携の促進を図ることを目的とした一般国道の自動車専用道路で、平成11年に尾花沢市毒沢~新庄市松本が部分開通していたが、尾花沢市野黒沢~毒沢の区間が部分開通の運びとなったので開通式が行われた。
国道13号を通過していた車両のほとんどが尾花沢新庄道路を通行するため、現道沿いに暮らす住民の生活環境が騒音や振動等の低減により改善され、災害や事故発生時でも代替路線が確保されることとなった。
さらに、新庄中核工業団地を中心とした地域開発の進展や最上川舟下りなどの観光名所の集客力増大により活性化が図られた。


開通式


尾花沢新庄道路位置図

平成20年(2008年)3月30日 国道13号主寝坂道路全線開通

田~真室川町及位が部分開通していたが、平成20年3月30日に残区間が開通し、主寝坂道路全線が開通となり、開通式が行われた。
国道13号の現道区間は、金山町飛森地内のヘアピンカーブや急勾配の連続と狭小な幅員によりスムーズな走行が妨げられ、大雨による通行規制時には迂回しなければならなかった。
しかし全線開通したことにより、大雨による通行規制時の大幅な迂回が解消し、走行時間が19分から12分と7分間短縮され、安全快適で信頼性の高い交通が確保され、秋田・山形両県の地域間交流の活性化が図られた。


現道のヘアピンカーブ


開通式


主寝坂道路位置図

平成20年(2008年)8月14日 停滞前線による大雨

平成20年8月14日夜から15日朝にかけ、停滞した前線に南西から暖かく湿った空気が流れ込んで雨雲が発達し、庄内・最上地方を中心に局地的豪雨をもたらした。
高屋雨量観測所(戸沢村高屋)では14日20時から23時まで1時間雨量が30mmを超える大雨が3時間続き、連続雨量319mmを記録するなど、記録的な大雨となった。
この大雨により国道47号の戸沢村猪ノ鼻~草薙の事前通行規制区間で基準値(連続雨量150mm)を超えたため、14日22時15分から全面通行止めを実施した。
全面通行止めの間、国道47号の各所で土砂流出や水路からの溢水が相次ぎ、土砂降りの雨と鳴り響く雷音のなか復旧作業にあたり、15日11時15分に復旧作業が完了し安全な通行が確保され、通行規制を解除した。


国道47号 法面崩れ(戸沢村高屋)


国道47号 土砂流出(戸沢村揚巻)



復旧作業中の作業員たち(戸沢村高屋)


復旧作業中の作業員たち(戸沢村揚巻)

平成23年(2011年)3月26日 国道13号新庄北道路開通

国道13号の新庄市街地部では、沿線地域の開発や地域間交流の活性化によって交通量が増大し、旅行速度が低下して渋滞が生じ、主要幹線道路としての機能が低下していた。
そのため、新庄市街地内を通過する交通を誘導し、街なかの安全性を高めるため、また、広域的な都市間連携、高速交通網との連携強化に寄与するため、さらには増大する交通量へ対応するための広域主要幹線道路として、平成12年から整備が進められ、平成23年3月26日に新庄北道路(延長4.7km)が完成供用された。
新庄北道路は、将来は東北中央自動車道の機能を担う道路として位置づけられ、庄内地方と宮城県北部、村山地方と秋田県南部を結ぶ交通の要所として、また、道路交通網の結節点としてアクセス性の向上が期待されている。


工事中の新庄北道路


完成した新庄北道路
遠くに鳥海山を望む


新庄北道路位置図

平成25年(2013年)7月18日~19日 低気圧の通過に伴う大雨

平成25年7月18日から低気圧の通過により雨が継続的に降り続き、各地で被害をもたらした。
国道47号蔵岡雨量観測所(戸沢村蔵岡)で連続雨量175mm、猪ノ鼻雨量観測所(戸沢村猪ノ鼻)で連続雨量162mm、高屋雨量観測所(戸沢村高屋)で連続雨量160mmを記録し、事前通行規制区間である蔵岡~古口4.75km及び猪ノ鼻~草薙8kmを7月18日13時より全面通行止めとし、その後、以下のトラブルが発生した事もあり、国道47号線を最長22時間45分の全面通行止めとした。
①7月18日19時、新庄市畑地内では、最上川の増水による路面の冠水が確認されたため、蔵岡~古口4.75kmの全面通行止め区間を本合海畑~古口の9.7kmに延伸した。
②7月18日14時、戸沢村蔵岡地内では家屋が床上浸水し、排水ポンプによる最上川への内水排除作業を引き続き行う必要があったため、蔵岡のみ全面通行止めを継続した。
そして7月19日11時45分、内水排除作業終了後、国道47号全線の最長22時間45分の全面通行止めが解除となった。


国道47号 冠水新庄市畑)


国道47号 内水排除作業(戸沢村蔵岡)