室町時代に始まったといわれる大石田河岸は、寛政4年(1792)には徳川幕府が管理する舟役所が置かれ、酒田を経て直接上方文化が入って来ることで最上川舟運の中枢として明治時代まで栄えたところです。今も町並みの中には、蔵づくりの店など当時の面影が残されています。しかし、度重なる最上川の出水により堤防の整備が強く望まれ、洪水から町を守るため、昭和40年から14年の歳月をかけ、左右岸合わせて約2,100mの特殊堤防を整備しました。ところがこの堤防により、町並みと最上川は切り離された状態になってしまったのです。平成2年2月9日「大石田町と最上川を語る会」が開催され、かつてのように大石田町と川とのつながりを再生したい、との提案が出されました。そこで平成3年から7年度にかけて大石田大橋下流側の特殊堤(延長602.4m)に塀蔵風の壁画を描きました。 |