米沢藩主・上杉鷹山の藩政改革を実際に指揮した人物で和算(算術)を得意とし、藩の財政を司る勘定頭を務め、無駄な出費を削るなど、藩財政の政善に努めました。また、水利事業に取り組み、北条郷(南陽市などの地域)の水不足解消のため「黒井堰」(鷹山がその功労を称え命名)を建設、さらに水量の多い、小国の玉川の水を白川に流して長井・飯豊方面を潤すため、「飯豊山穴堰」を建設しました。忠寄は工事半ばで亡くなりますが、19年かけて玉川と白川を結ぶ穴堰は完成し、水田を豊かに潤しました。穴堰は現在は使用されていませんが、山形県重要文化財に指定され、今も飯豊山中に昔のままの姿を残しています。 |
●関連事項/飯豊山穴堰絵図 |