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最上川文化館 > 偉人(舟運)
最上義光
 道路が現在のように整備されていなかった時代、最上川は唯一の便利な交通手段として活用されていました。また、米がすべての価値観の基準であり、人口の集中している都・江戸の穀倉地帯とされていた東北において、年貢米を輸送する交通路としての役割もありました。この最上川の重要性に注目したのが山形城主最上義光でした。義光は商業の流通を促進するために、道路の開削整備や、舟運に力を入れていました。特に、最上川の三難所といわれている「碁点・三ヶ瀬・隼」は、大掛かりな工事によって開削を推進し、完成させることにより、最上川の舟運をさらに発展させました。これにより村山地方だけでなく、最上地方に産出する物産の多くが酒田港に運ばれるようになり、これをきっかけに大石田および酒田は、商業都市として発展を遂げました。

最上義光銅像(山形市霞城公園)
最上義光銅像(山形市霞城公園)
最上義光〔もがみ・よしあき〕(1546-1614)
12代山形城主。伊達氏や上杉氏ら周辺大名と領有を争い、関が原の合戦後ついに戦功が認められ57万石の大名となる。山形城築城、二日町から八日町に及ぶ商人街の育成、新田開発、最上川の舟運整備など山形藩興隆の祖として現在まで数々の偉功が伝えられている。

写真:直江石堤(なおえせきてい)
最上川の三難所のひとつ 三ヶ瀬



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