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| 菅江真澄が描いた西目屋の風景 |

1.桜庭村の風景(『雪のもろ滝』より/秋田県立博物館蔵写本)
西目屋村役場のある田代地区から県道を弘前方面に約7km。弘前市東目屋の桜庭(さくらば)地区のおよそ210年前の風景です。
手前を流れるのは岩木川で、街道に沿って桜庭集落の家並みが続いています。高台に建っているお堂は、津軽三十三観音の二番(一番は久渡寺)に数えられている清水(きよみず)観音堂です。
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2.清水観音堂(多賀神社)(『津軽のおち』より/秋田県立博物館蔵写本)
菅江真澄は寛政8年(1796)11月と翌年の寛政9年(1797)5月(いずれも旧暦)の2回、桜庭(さくらば)の清水(きよみず)観音堂に詣でています。
真澄が訪れた時に祀(まつ)られていたご本尊の千手観音は、明治の初めの神仏分離令で弘前の陽光院にお堂とともに引き取られ、現在は名称も多賀神社となっています。
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3.乳穂ヶ滝(におがたき)(『雪のもろ滝』より/秋田県立博物館蔵写本)
田代地区の名坪平にある高さ33mの滝。厳冬期になると滝が乳穂のように氷結することからこの名があり、昔からその太さ、形状などによってその年の津軽の作物の豊凶が占われてきました。
菅江真澄はここで滝の図絵を3枚描き、和歌を詠んでいます。
滝の前にはその和歌を刻んだ歌碑が建立されています(このサイトの「名坪平の歌碑」「菅江真澄の西目屋紀行その1」で詳しく解説しています)。
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4.大秋〜村市の風景(『雪のもろ滝』より/秋田県立博物館蔵写本)
菅江真澄は『雪のもろ滝』の旅で、大秋(たやけ)から山越えをして村市(むらいち)に入り、さらに奥地の滝門の滝へと向かいました。
図絵の真ん中から右寄りのところに、山道を行く2人の旅人が描かれています。おそらく脇差し姿が真澄自身で、後ろの荷物を背負った人は案内人でしょう。
図絵の説明文には、「村市邑 太(大)秋のみやまより いはき川のみなかみ あんもんのもろたきより流出る山川を臨たるのかた」とあります。
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5.毘沙門堂(鹿島神社)(『雪のもろ滝』より/秋田県立博物館蔵写本)
菅江真澄は村市地区の畳平(たたみたい)にある毘沙門堂(びしゃもんどう)を訪れ、「清らかなお堂に昔の御仏であろう、六、七尺ほどの朽ちた古像がふたつ立っていた」と書き残しています。
毘沙門堂は明治の初めの神仏分離令で鹿島神社と改称されましたが、現在も神社の拝殿に二体の仏像(一体は破損)が安置されています。
これは真澄が見た仏像と同じものではないかといわれています。
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6.水落合(『雪のもろ滝』より/秋田県立博物館蔵写本)
図絵の説明文には「甲 水落合(みずおちあい) 乙 袁尓加波閇(おにかわべ=鬼川辺) 丙 阿无毛武澤(あんもんさわ=暗門沢)」とあるので、鬼川辺沢と暗門川の合流地点の風景と思われます。
現在ここには暗門大橋が架かり、周辺にはセンターハウスや総合キャンプ場「アクアグリーンビレッジANMON」などが整備されています。
ここから暗門川に沿って遊歩道が延び、白神山地、暗門の滝探勝の拠点となっています。
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7.暗門の滝・第2の滝(『雪のもろ滝』より/秋田県立博物館蔵写本)
暗門の滝は、白神山地の高倉森と櫛石山に源を発する妙師崎沢と西又沢が合流し、暗門川となって流れ落ちる3段の滝の総称で、上流から順に1の滝、2の滝、3の滝と呼びます。
菅江真澄は寛政8年(1796)11月と寛政10年(1798)5月(いずれも旧暦)の2回、暗門の滝を探勝しています。
ここにあげた図絵は寛政8年に描いた第2の滝です。(菅江真澄と暗門の滝については、このサイトの「菅江真澄の西目屋紀行その3」でも解説しています) 
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