高瀬川流域の
歴史・伝説

小川原湖名称の由来

高瀬川において大出水をもたらす降雨は、低気圧によるものと台風の通過に起因するものとが大部分です。
戦前についての洪水の記録は残っていませんが、記録さ れている既往最高は昭和33年9月26~27日洪水で流域平均雨量は210.4mmに達し
未曾有の被害をもたらしています。

小川原湖伝説(湖の底に眠る親孝行な姉妹の哀しい伝説)

「今から千三百年ほどの昔、都に橘中納言道忠公という貴人がいました。道忠公には玉代姫、勝世姫という二人の美しい姫がおり、幸福に暮らしていました。

しかし、世の無常をはかなむ道忠公は都での争いを避け、出家してここ小川原湖畔に庵を結びました。
母の嘆き悲しみと病を案じて父を探しに旅に出た姉妹は、諸国を巡ってようやくこの地にたどり着きましたが、そこで二人は父の死を知ってしまいます。

悲しみのあまり姉の玉代姫は湖に身を沈めてしまい、妹の勝世姫も跡を追うように湖に沈んでしまいました。
玉代姫の沈んだ湖を姉沼、勝世姫の沈んだ湖を妹沼(現在の小川原湖)と呼び、今もこの二つの沼は、ひっそりと寄り添っています。」

現在、玉代姫は姉戸大明神に、勝世姫は廣沼大明神に、そして姉妹の父、橘中納言道忠公は沼崎観音に祀られています。

そして今、玉代姫は 八甲田山の恵みを仰ぎ、勝世姫は湖上の安全と幸を祈る姿でよみがえりました。