小川原湖の歴史をご紹介いたします。
 
小川原湖名称の由来
アイヌ語で言われる「廻り回る」という意味の「オカラ」「オカリ」「オカルル」から「オカラ」となって、その後「小川原」「小河原」の文字を当てられ小川原湖と呼ばれたと言われています。国語辞典の広辞苑では[回す=廻す]・・・広く行き渡る。[回る=廻る]・・・働く、自由になる、行き渡る、利息が生まれる、利益になるなどの意味があります。

小川原の由来も太古の時代より厳しい自然や生活と戦った人々の働くこと、自由への叫びから生まれたと思われます。
 
小川原湖伝説(湖の底に眠る親孝行な姉妹の哀しい伝説)
「今から千三百年ほどの昔、都に橘中納言道忠公という貴人がいました。道忠公には玉代姫、勝世姫という二人の美しい姫がおり、幸福に暮らしていました。

しかし、世の無常をはかなむ道忠公は都での争いを避け、出家してここ小川原湖畔に庵を結びました。
母の嘆き悲しみと病を案じて父を探しに旅に出た姉妹は、諸国を巡ってようやくこの地にたどり着きましたが、そこで二人は父の死を知ってしまいます。

悲しみのあまり姉の玉代姫は湖に身を沈めてしまい、妹の勝世姫も跡を追うように湖に沈んでしまいました。
玉代姫の沈んだ湖を姉沼、勝世姫の沈んだ湖を妹沼(現在の小川原湖)と呼び、今もこの二つの沼は、ひっそりと寄り添っています。」


現在、玉代姫は姉戸大明神に、勝世姫は廣沼大明神に、そして姉妹の父、橘中納言道忠公は沼崎観音に祀られています。

そして今、玉代姫は 八甲田山の恵みを仰ぎ、勝世姫は湖上の安全と幸を祈る姿でよみがえりました。

 
 
 
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