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峠物語 仙人峠の変遷
 「月報とうほく」10月号に掲載された「峠物語 仙人峠の変遷」をご紹介します。当出張所の事務係長による、長編作品です。平成19年3月に開通した「仙人峠道路」について、これまでの歴史を振り返ってみてはいかがでしょうか。

 はじめに
 旧釜石街道の難所・仙人峠
 鉄道の開通・役割を終える仙人峠
 仙人有料道路の開通
 未来を拓く新道路・仙人峠道路
 おわりに 

〜はじめに〜

 平成19年3月、いよいよ一般国道283号「仙人峠道路」が供用開始します。岩手県沿岸南部の釜石市を起点とし、遠野市を経て内陸の花巻市へと至る一般国道283号。沿岸部と内陸部を結ぶ極めて重要な幹線道路ですが、そのうち釜石市から遠野市にかけての区間は、急勾配と急カーブが連続し、かつ幅の狭いトンネルを通過しなければならず非常に厳しい道路状況となっています。そして、この区間の抜本的な改良として事業化され開通しようとしているのが、約18.6kmの自動車専用道路「仙人峠道路」なのです。

この新しい道路の開通は、交通、産業、観光などの各分野において関係者から大きな期待を寄せられていますが、とりわけ釜石をはじめとする沿岸南部の人々にとっては、長年の悲願ともいえるものでした。それは、この事業の名称にも冠されている「仙人峠」が、古来よりこの地域の人々にとって越えるのに困難な大きな障壁であったことと無関係ではありません。

仙人峠は、藩政時代、盛岡城下から遠野を経て釜石に至る旧「釜石街道」において、遠野と釜石の間、北上山地越えの難所にあたる標高887mの峠です。その名前の由来には諸説があって、文字どおりその昔仙人が住んでいたからとか、千人の金堀りの人夫が麓の鉱山で生き埋めにあったからとか、あるいは、アイヌ語の「セレコ」(背骨の高い所の意)から来たとするものもありますが、共通して何か恐ろしくまた近寄り難いイメージを感じさせるとおりに、高くそして険しい北上山地を越える街道最大の難所として、通行する人馬を苦しめてきたのでした。その後、鉄道の開通や、有料道路の開通(その後、現在の一般国道283号に昇格)によって、その困難の解消が図られてきましたが、それでもなおその時々に交通の難所であることに変わりはなく、「仙人越え」は通行する人々に負担を強いてきました。そしてこの難所がいつの日か克服されることを、この地域の多くの人々が心から願い続けてきたのでした。

そして今、その願いを現実のものとするべく、いよいよ開通を目前にしている仙人峠道路。この新しい道路の開通を人々が強く願う、その原点ともいうべき、仙人峠をめぐる往来の苦難と変遷の歴史をこの機会にご紹介したいと思います。

仙人峠周辺の概略図

仙人峠周辺の概略図

〜旧釜石街道の難所・仙人峠〜

 そもそもこの仙人峠はいつの頃から利用されるようになったのか、この点については郷土史の観点からいろいろな研究がなされてはいますが、その仙人峠の急峻さゆえに中央からは長く辺境とされてきた土地でもあり、残された文献史料からうかがい知ることはなかなか難しいようです。それでも、この地域の郷土史研究の成果に目を通してみると、おそらくは鎌倉時代以降、中央から任命された領主がこの地に移住して統治を始め、その後室町時代から戦国時代に至る頃にはいくつかの勢力が隆盛となって割拠していたようであり、その頃には交通・交易がひらかれ、既に仙人峠の往き来もあったであろうと思われます。その後、江戸時代に入ると南部藩の治めるところとなり、この頃には釜石の海産物を基にした南部領内陸部との交通、交易もますます盛んとなっていきましたが、それに伴って仙人峠の険路もまた大きな障害となっていきました。

 その後、明治末期までの仙人峠の様子は、旅人は徒歩または駕籠(けいが)と呼ばれるかごで往来し、大きな荷物は馬か人夫に頼るのが常であり、また物流に関しては、馬で荷物を運ぶ「駄賃付け」と呼ばれる運送業者が担っていました。そして、彼等が越えねばならない峠道の道程は次のように大変厳しいものでした。例えば、遠野側から釜石側へ向かう場合、まず、遠野側の登り口である沓掛の地から峠道に入り、標高887mの仙人峠頂上まで約2km、危険な崖もあり、足下も狭くて整っているとはいえない急な坂道を登らねばなりませんでした。逆に、頂上から釜石側の登り口である大橋の地までは標高差が約630mにもなり、九十九折りとも呼ばれる約4kmの急な下り坂が、旅人の疲労した足に追い打ちをかけたのでした。その上、大人の足でもおよそ3時間はかかったという峠越えの途中には湧水もなく、飲み水を得られなかったので、1805年頃には、地元の有力者であった佐野忠治が、麓の村から峠の中腹の中仙人まで樋を設置して水飲み場をひらいたものの、時ともに老朽化して打ち棄てられ、峠の頂上の茶屋では、飲み水が有料で提供されるほどでした。ちなみに昭和2年頃には、茶碗1杯の飲み水が2銭であったということです。

 ここで、かつての仙人峠について記した文献の一つに、柳田国男著「遠野物語」があります。この中で仙人峠について、「仙人峠にもあまた猿をりて行人に戯れ石を打ち付けなどす」とあり、また「仙人峠は登り十五里降り十五里あり。其中程に仙人の像を祭りたる堂あり。此堂の壁には旅人がこの山中にて遭ひたる不思議の出来事を書き識すこと昔よりの習なり。例へば、我は越後の者なるが、何月何日の夜、この山路にて若き女の髪を垂れたるに逢へり。こちらを見てにこりと笑ひたりと云ふ類なり、又此所にて猿に悪戯をせられたりとか、三人の盗賊に逢へりと云ふやうな事をも記せり」との逸話が語られています。猿のくだりはともかく、その外の伝についてはやや怪しげな印象でもありますが、いずれにしてもこのような伝承が残されていることは、この峠に対して当時の人々が少なからず畏怖の念を抱いていたことの表れではないでしょうか。

仙人峠頂上から釜石方面を望む
仙人峠頂上から釜石方面を望む
現在の峠道の様子
現在の峠道の様子(仙人峠頂上〜大橋)

〜鉄道の開通・役割を終える仙人峠〜

 さて、大正の時代に入ると、仙人峠にも近代化の波が押し寄せるかのように、大きな変化の時を迎えます。その背景にあるのは、何といっても釜石(大橋)における近代製鉄の発祥と本格的な鉱山開発の開始でありました。江戸末期、盛岡藩士大島高任が大橋の地に洋式高炉を築造して始められた近代製鉄業は、明治に入って官営製鉄所となり、その後一頓挫したものの、民間の釜石鉱山に引き継がれ、明治44年には現在の釜石市鈴子から大橋の間に、鉱石と木炭を運搬するための鉱山鉄道が開通していました。

 他方、遠野側においては、岩手県の内陸部と沿岸を結ぶ鉄道建設の気運の高まりもあって、大正元年、釜石〜花巻間を結ばんと計画された岩手軽便鉄道の建設が、まずは花巻から着工され、その後大正4年には花巻から遠野を経て仙人峠(沓掛)までの区間が開通することになりました。

 このように仙人峠をはさんで東西に鉄道の建設が進められる中、大正2年、岩手軽便鉄道株式会社が、仙人峠の遠野側・沓掛と釜石側・大橋の間において、「鉄索」と呼ばれる3.3kmの索道による荷物輸送を開始したことは、これまでの馬の背による荷の輸送に幕を引く出来事となりました。鉄索は、概ね現在のスキー場のリフトのような構造で、荷物の輸送効率をそれまでよりはるかに向上させたものの、風が強いときはしばしば運行を休止することがあったようです。また、人の移動については相変わらず徒歩か駕籠で峠を越えなければなりませんでした。

 その後、岩手軽便鉄道は、仙人峠越えのトンネル掘削の費用があまりにも莫大なため到底捻出することはできず、当初の目的であった釜石までの鉄道延伸を進めることができなかったので、仙人峠は鉄索と徒歩による輸送が続けられることとなりましたが、こうした間に、周辺地域の交通の整備が進んだこともあって、仙人峠を通行する人の数は徐々に減っていきました。特に、昭和14年に盛岡から宮古を経て沿岸を南下し釜石に至る国鉄山田線が全通したことで、県都盛岡と釜石の間の輸送に関しては鉄道が主流となったので、仙人峠を通行する人と荷物は激減することとなりました。ついに、このまま歴史的な役割を終えるかとも思われましたが、それから10年も経たぬうちに再び仙人峠の往来は激しくなります。というのも、昭和23年9月のアイオン台風によって山田線が不通になると、人々はやむを得ず再び仙人峠を通うことになったうえ、加えて終戦後の食料不足による米の買い出しなどもあって、重い荷物を背に峠越えする人々の列が続くことになったのでした。

 このような状況もあって、昭和20年代に入ってもなお、仙人峠を徒歩で越えてゆく人々が途絶えることはありませんでしたが、やはりその険しさから、ますますもって花巻〜釜石間の鉄道の開通が熱望されていたところ、昭和11年に既に国有化されていた岩手軽便鉄道の改良が進み、さらに遠野〜陸中大橋間の鉄道工事が昭和23年に再開された結果、難工事の末についに昭和25年10月に国鉄釜石線として全通し、花巻と釜石の間が鉄路で結ばれました。これをもって、多くの人々の苦難が刻みこまれた仙人峠はついにその一切の歴史的使命を終えることとなったのでした。

〜仙人有料道路の開通〜

 昭和25年の国鉄釜石線の全通により、ついに仙人峠はその役割を終えることになりましたが、この時代の釜石は、かねてから盛んであった漁業に加えて、折しも朝鮮戦争の軍需景気に沸き、鉱山と製鉄所に立脚する産業都市として大いに発展を遂げようとしていました。ところが、戦後、全国的に自動車が普及、発展し、モータリゼーションが発達するにつれ、仙人峠を越える道路の整備の遅れは大きな問題となり、産業発展の足かせとなるおそれが出てきました。というのも、当時の釜石街道は大正時代には一般県道に認定されてはいたものの、無論仙人峠を自動車で越えることはできず、峠を避けて他の道路を大きく迂回しなければなりませんでした。ここに来て、仙人峠は再び釜石の人々と産業にとって大きな障壁となりつつあったのです。

 この状況に手をこまねくことなく、釜石市は昭和31年7月に「仙人トンネル並びに取付道路早期完成市民大会」を開催し、同年10月には「仙人トンネル並びに取付道路早期完成促進同盟会」を結成し、道路整備を求める活動に乗り出しました。実は、これに先んじて昭和27年、日鉄鉱業株式会社釜石鉱業所では、鉄鉱、銅鉱の探鉱を目的として仙人トンネルの導坑掘削に着手していたところ、道路トンネルの開通を望む市民の熱意に応えるかたちで、当時の日鉄鉱業株式会社森田恵三郎社長と同社今井史郎釜石鉱業所長の協力により、探鉱用の導坑掘削を、道路トンネル開削事業に転ずるに至った経緯もあり、こういった動きも相まって、昭和33年に日本道路公団により「有料道路仙人トンネル取付道路」の工事が起工され、翌昭和34年にはついに、全長2,528mの仙人トンネルを含む約10.2qの「仙人有料道路」が開通して、この区間の自動車交通の利便性は飛躍的に向上したのでした。

 昭和36年、釜石市は仙人トンネルの釜石側坑口付近に、先の森田、今井両氏を顕彰する碑を建立しました。この有料道路の開通がもたらした効果の大きさを示すものといえるでしょう。

一般国道283号のループ区間
一般国道283号のループ区間
(大橋〜仙人トンネル)
有料道路時代のパンフレット
有料道路時代のパンフレット

〜未来を拓く新道路・仙人峠道路〜

 仙人有料道路は、昭和45年には釜石市と花巻市を起終点とする一般国道283号に路線指定され国道となった後、昭和55年には通行料が無料化されその管理が日本道路公団から岩手県に移管されるなどして、ますます幹線道路としての重要性を高めていきました。

急峻な北上山地を越える地形上の制約もあり、急勾配、急カーブを数多く抱えてはいましたが、開通以来、沿岸と内陸を結ぶ動脈としての機能を果たしていました。しかしながら、この間の物流の高度化もまためざましいものがあり、自動車による大量・高速輸送の時代に入ると、この区間の道路状況は交通量の増加や車両の大型化への対応力を欠き、奇しくもかつての仙人峠がそうであったように、この区間はまたしても現代の「難所」となってしまいました。

この区間の道路状況を詳しく見てみると、仙人トンネルの釜石側4.6kmの区間が異常気象時通行規制区間となっていて、急勾配(平均勾配6.2%、最大勾配9.6%)、急カーブ(R<100:21箇所)であるうえ、とりわけ仙人トンネルは、車道幅員5.1mの狭隘で、大型車同士のすれ違いに支障をきたすなどしているため、この区間の抜本的な改良が避けられない状況となっていました。

 このような状況を受けて、昭和62年、釜石市は一般国道283号の抜本的な改良工事の早期着工にはずみをつけるべく「仙人・1000人総決起大会」と銘打った市民大会を開催し、市民の熱意を内外に示すと、その後も市民主体の粘り強い活動を続けた結果、平成4年には「一般国道283号仙人峠道路改築事業」として国が権限代行で施工する13.2kmと岩手県が施工する5.4kmを合わせた18.6kmの事業着手にこぎ着けたのでした。その後、工事は着実に進捗し、平成19年3月にいよいよ供用開始します。

 ここで「仙人峠道路」の概要を簡単に紹介します。釜石市甲子町から遠野市上郷町まで、8つの橋と4つのトンネルを含む延長18.6kmの自動車専用道路であり、全体のほぼ半分がトンネル区間となっています。その新たな「仙人越え」のルートは、かつての旧街道の仙人峠から南方約4.5kmの山中を、新しい仙人トンネル(L=4,485m)により釜石市から気仙郡住田町へ一気に抜けるもので、現在の一般国道283号を通行した場合と比べて、距離にして約7.5q、時間にして約35分の短縮が見込まれており、そして何より安全で円滑な交通が確保されることになります。

釜石市は、釜石製鉄所の大規模な整理・合理化以降、長らく沈滞状況といわれてきましたが、近年は内陸部の企業誘致と連動して、釜石港の貨物取扱量が伸びを見せるなど、物流拠点、港湾都市として生まれかわろうとしています。平成18年度中には、釜石港の公共埠頭改修工事、湾口防波堤工事が完成し港湾機能が強化され、かつ仙人峠道路によって釜石港と内陸部のアクセス向上が図られれば、さらに物流面から経済と産業の活性化を後押しするものと沿岸地域、内陸地域両方から非常に大きく期待されているのです。

仙人峠道路 仙人トンネル
仙人峠道路 仙人トンネル(釜石側坑口)
仙人峠道路 枯松沢橋
仙人峠道路 枯松沢橋(工事中)

〜おわりに〜

 8月10日の「道の日」に旧釜石街道の仙人峠を歩いて越えるイベント「仙人峠の集い」は、昭和63年から毎年開催されており、今年で19回目となりました。筆者も今年の集いに参加し、約300人の参加者の方と一緒に約6kmの峠越えの体験をすることができましたが、雨上がりの蒸し暑さの中、ハチやアブを追い払いながら、汗だくになって歩く峠道は想像以上に厳しいもので、かつての往来の苦労を身をもって思い知ることになりました。

 来年3月、一般国道283号「仙人峠道路」が開通し、かつての難所「仙人峠」はもはや完全に克服されることになるでしょう。しかし、ここに至るまでに多くの先人の苦難と、峠の改良への切なる願い、熱意があったことを忘れることはできません。

(参考・引用文献)

『歴史の道 第一号 仙人峠』 釜石市教育委員会

『釜石市誌 通史』 釜石市

『岩手の峠路』 那須光吉著 熊谷印刷出版局

『図説 宮古・釜石・気仙・上、下閉伊の歴史』 金野静一監修 郷土出版社

『道づくり』 建設省三陸国道工事事務所

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