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庄内の人物

庄内における文学者達

高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう)

高山樗牛
明治30年代、思想家として
若者に人気を博した樗牛


鶴岡市生。1871(明治4)−1902(明治35)

東大哲学科在学中、小説「滝口入道」を著す。

東大講師、「帝国文学」編集員、博文館の総合雑誌「太陽」の主幹となり、日本主義、ニーチェ主義を唱えて多くの評論を発表、当時の青年に大きな影響を与えた。

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阿部 次郎(あべ じろう)

阿部次郎
近代日本を代表する
文人哲学者、阿部次郎


酒田市(旧松山町)生。1883(明治16)−1959(昭和34)

哲学者・評論家。東北大学教授。

漱石に師事し、反自然主義の文芸評論を発表。個人主義的理想主義・感情移入を説く。その著書「三太郎の日記」は大正期のベストセラーとなった。

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藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい)

藤沢周平
鶴岡市高坂地区にある
藤沢周平生誕の碑


鶴岡市生。1927(昭和2)−1997(平成9) 本名小菅留治。

ペンネームの「藤沢」は、鶴岡の地名からとった。

山形師範学校を卒業後、鶴岡市湯田川中学校の教員生活を送り、昭和48年「暗殺の年輪」で直木賞を受賞。いわゆる市井物、武家物の時代小説には、息の長いファンが多い。

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佐藤 賢一(さとう けんいち)

佐藤賢一
平成11年、「王妃の離婚」
で第121回直木賞受賞


鶴岡市生。1968(昭和43)−

東北大学大学院文学研究科でヨーロッパ中世史を学ぶ。

平成11年「王妃の離婚」で第121回直木賞受賞。中世ヨーロッパを舞台にした作品を発表し、西洋歴史小説に新分野を切り開いている。

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森 敦(もり あつし)

森敦
独自の思考と清冽な文体は
今も読者を魅了する


22才にして処女作『酩酊船』を発表し注目を集める。昭和26年夏から翌年にかけて鶴岡市(旧朝日村)注連寺に滞在し、そのときの生活をモチーフに描いた小説「月山」で昭和49年芥川賞受賞。その後も長く庄内に滞在し、旧朝日村名誉村民となる。

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「柏鵬時代」を築いた横綱、柏戸剛

柏戸 剛(かしわど つよし)

柏戸剛
一時代を築いた柏戸
(写真は鏡山親方時代)


1938(昭和13)−1996(平成8)鶴岡市(旧櫛引町)生。

第47代横綱。大鵬とともに柏鵬時代を築いた。

柏戸の身上はがむしゃらに前にでる一気の速攻。

横綱昇進後はけがと病気に泣かされ続けたが、4場所休場後の昭和38年秋場所千秋楽で横綱同士が全勝優勝をかけてぶつかり、大鵬を寄り切った相撲は相撲史上に残る。

昭和44年7月に現役引退後は、鏡山親方として角界と後身の指導にあたっていた。

平成9年第1号の県民栄誉賞受賞。櫛引町名誉町民。

優勝5回。幕内成績599勝240敗140休

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心に響くシャンソン、岸洋子

岸 洋子(きし ようこ)

岸洋子
歌う人生を生きぬいた岸洋子


1935(昭和10)−1992(平成4)酒田市生。

シャンソン歌手。昭和39年「夜明けのうた」、昭和45年「希望」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。

膠原病と闘い、入退院を繰り返しながらもステージに立ち続け、同じ病気を患う人たちに希望を与え与え続けた。

昭和51年の酒田大火では全国各地で復興チャリティコンサートを開催。昭和63年には酒田市の特別功労表彰第1号に選ばれる。

死去後、平成6年より酒田市で岸洋子メモリアル音楽祭が開かれている。

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酒田を風と砂から守る、本間光丘

本間 光丘(ほんま みつおか)

山王山に創立された「光丘文庫」
山王山に創立された「光丘文庫」


1731(享保16)−1801(享和元)酒田市生。

本間家三代当主。大名貸し等により日本一の大地主とうたわれた本間家の基礎を築く。

しかし、それだけではなく西浜一帯への植林事業など、慈善活動や町民への救済活動を実施した。

功績を伝える石碑
丘の植林事業の功績を伝える石碑

当時の酒田海岸は木が一本も植えられていない砂丘で、風が吹くと家や田畑が埋もれることもあった。

そこで、光丘は私財を投じた植林計画を 実施した。しかし、当初、黒松の苗木はなかなか根付かず、根こそぎ吹き飛ばされたりしたが、事業着手から4年後の宝暦12(1762) 年にようやく実を結び始めた。

その後、自ら植林に取り組む人も現れ、現在の見事な黒松林を形成するに至る。

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現在の良質銘柄米の祖「亀ノ尾」の生みの親、阿部亀治

阿部 亀治(あべ かめじ)

阿部亀治
「亀ノ尾」を生んだ阿部亀治


1868(明治元)−1928(昭和3)庄内町(旧余目町)生。

県内が冷害に見舞われた明治26年に、立谷沢村中村(現、庄内町)の熊谷神社へのお参りの際、月山の冷水をまともに受ける冷立稲の中に、倒伏していない見事に実った3本の稲を発見した。

その後試行錯誤の研究の末、4年目の明治30年に天候不良や「ウンカ(カメムシの一種)」の大発生にもかかわらず、全国平均を上回る収穫をあげ、一躍注目された。 「亀ノ尾」と命名されたこの稲は全国に作付け面積が拡大し、大正14年には約20万haまで広がった。

「亀ノ尾」は「ササニシキ」や「コシヒカリ」、「はえぬき」などの銘柄米のルーツであり、今日、全国40近い酒蔵で酒米として再び見直されている。

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幕末を駆け抜けた志士、清河八郎

清河 八郎(きよかわ はちろう)

阿部亀治
幕末の志士、清川八郎


1830(天保元)−1992(文久3)庄内町(旧立川町)生。

幕末の志士。東条一堂らに書を千葉周作に剣を学び、25歳で文武両道の塾を開く。

桜田門外の変後、尊皇攘夷を唱え活動を行う。

京都の治安維持と将軍警護のため、江戸で浪士組を結成したが、京都に到着後尊皇攘夷の意志を伝え、浪士組は清河とともに江戸に戻る派閥と、京都に残り新撰組を形成することになる派閥とに分裂。

浪士組が攘夷を決行する直前、清河は幕吏によって暗殺。

清河八郎記念館(庄内町)

清川八郎記念館
清川八郎記念館(庄内町)

清河八郎の山形県指定文化財を含む貴重な資料を展示。

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貫いた信念、石原莞爾

石原 莞爾(いしはら かんじ)

石原莞爾
軍隊時代の石原莞爾
(鶴岡市郷土資料館所蔵)


1889(明治22)−1949(昭和24)鶴岡市生。

元陸軍中将、思想家。関東軍参謀として満州事変、満州国建国に関与。

日中戦争に反対し、当時の首相東条英機と対立。

日蓮の哲理と欧州戦史の研究を融合させ、「世界最終戦論」という独自の戦争理論を形成。

戦後は「都市解体」「農工一体」「簡素生活」の平和三原則を提唱し、戦争放棄を主張。

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