平成15年6月30日 第 4 号

もくじ
(1)平成15年度 春の合同せん定会
(2)麗しき友情のお話
(3)新会員紹介
(4)投稿随筆  みち〔珍国道〕 小林 新吉
(5)沿道のクロマツに薬剤散布しました。
(6)「私 の 宝 物」  淺田 嘉美
(7)「財源」
(8)編集後記
平成15年度 春の合同せん定会

青空の下、国道7号・能代バイパスに 「パチン!!パチン!!」の快音響き渡る。


6月6日の参加のみなさん

7日夕方NHK県内ニュースでの放映の様子。
 能代バイパスの黒松並木において、例年恒例となっている春の合同せん定会が、去る6月6日(金)・7日(土)の両日行われました。6日(金)黒松友の会のメンバー22人が、黒松ハウスに集い作業を開始。例年より早くのびた松の「みどり」のせん定処理を行いました。
 また、2日目は、15名のメンバーが参加。NHKも取材にかけつけ、夕方の県内ニュースでの放映がありました。 合同せん定会が行われた両日は天気にも恵まれ、仙遊長根から寿域長根の区間では、通 行する自動車のエンジン音の合間をぬって、あたりに「パチン・パチン」と心地よいせん定バサミの音が響き渡っていました。

麗しき友情のお話
 当会会員の原田勇一さんが、腹部の大手術をされたそうで、一年間休会する旨の申し入れが会長のもとにあったそうです。
 以前からこの事情を知っておられた、田中雅さんと小林新吉さんが、原田さんに代わって友情せん定をして下さったとのこと。
 ボランティアという形の当会で、自分の分からさらに友人の松をもせん定してくださったお二人の気遣いに感謝するとともに、なにより原田さんの快癒をお祈りいたします。

会 事 務 局

新会員紹介
 合同せん定会の行われた6月6日。 新たに一人の会員を迎えました。

氏 名  工藤  本吉
住 所  能代市赤沼

幹事の勝長さんの指導のもと早速、せん定作業に当たっていただきました。

投稿随筆  みち〔珍国道〕 小林 新吉

 この随想は顧ること、昭和34年代のことである。当時●国内では「・皇太子ご成婚〔現天皇〕・伊勢湾台風・岩戸景気」●当市では「・能代市長に豊沢勇治氏再選・NHKテレビの放映能代地方でも受像出来た。」時代であった。
 山梨県のえんざんし塩山市から笛吹川の上流に三富村広瀬と言う10数戸位 の集落がある。トラックの荷台に載せられた機械と共に夕方漸くのことで広瀬の集落に到着した。ほっと胸を撫でおろした。それは遂先頃まで珪石運搬の軌道が敷かれていた道だったのだ。だから塩山から山の方向に入って間もなく石コロだらけ、穴だらけ、デコボコ道だらけの連続であった。
 胃の中がまるで掻き回されて完全にグロッキーで参ってしまっていた。
 その日は広瀬集落に泊まることになる。親方の親戚の家とかで、お酒やら煮物のご馳走が沢山並べられた。山奥に入っても物凄く美味いご馳走に在り付けたので疲れも忘れ気分も上々、先程の胃の猛震動もどこへやら舌鼓を打って飲んだり食べたりであった。
 こんな雰囲気の中で食い逃げもいけないので、酔いも手伝って下手な民謡を二、三コお土産代わりに唸ったら、意外や意外結構受けた。秋田の面 目を保ったものである。
 次の日の朝、荷物を背負い山道を歩くこと三時間余り、この山道が酷道ならぬ 国道140号線である。山梨県から雁坂峠標高2,082m。右が笠取山と雲取山・左が破不山・こぶ甲武し信ヶたけ岳・秩父多摩国立公園を横切り、埼玉 県秩父郡大滝村栃本に通じる登山道である。
 地元の人の話では立派な道路が、とうの昔に出来る予定が太平洋戦争の捨て子みたいに置き去りになったとかで。今は階段付ごくどう嶽道になったとか。峠の直ぐ下〔山梨側〕に飯場が有り、埼玉 側には登山者用の小屋があった。さんぽう山峰を雲取・或いは大菩薩方面 から甲武信を目指しての登山者が結構多かったように思える秋の一日。峠を甲武信方向に一時間程行く、断崖絶壁の美しい景観に会い、今でも脳裏の片隅に張り付いている。
 平成4年頃、あれから30数年振りに妻と二人で三富村と大滝村をドライブした。余りの変りようにびっくり仰天せんばかりであった。
 山梨県側からも立派な道とダム〔広瀬ダム〕が出来ている。
 埼玉県側は三峰を過ぎると間もなく二瀬ダムと立派な道が出来ていて、自分がこの山奥に木材運搬の索道・集材架線張り作業の為に、布団や道具を背負い汗を流して歩いた道である。が近代的な道になっていて驚くばかりであった。
 二十代の若者だったから重い荷物も苦にもならずに歩いた道。あの時三峰口駅〔駅前の店のお婆さんの「ここに来て米のなる木、つまり稲を見たことが無い。」と、その言葉が印象に残っていた。〕から大滝〔落合〕まで歩きここで一泊。
 次の日はここから栃本を過ぎ滝川支流まで二日掛かりで飯場に着いた。どの位 の距離であったろうか。今考えて見ても良く頑張ったと思う。
 若者に一度苦労させて見たい。話して見たい。きっと答えは「お前馬鹿かよ?」だろう。
 道の有難さ便利さを心の底から分かって貰える世代人になって欲しい。、、、生まれた時から便利な生活に慣れている現代人に理解して貰うことは至難と思う。
 一時的ではあるが、孤島の生活とか。二、三日登山してのキャンプ生活とか。また一週間位 最低限の山小屋自炊暮らしとか。、、それらの体験を通して普段の生活がどのくらい恵まれているかチョッピリ理解して貰えると思う。、、、付け刃みたいだが?

註:文中の写真類は事務局が差し込みしたものです。
1枚目:右端が、登山道のような国道140号
2枚目:甲武信ヶ岳付近の山肌
3枚目:甲武信ヶ岳
4枚目:周辺の山々の鳥瞰図

沿道のクロマツに薬剤散布しました。
 能代国道維持出張所では、みどり摘み終了後、黒松の殺菌・防除松喰い虫対策として薬剤散布を実施しました。
・すす病などの病気予防 「ダイセンステンレス」(アンバム剤)ダウケミカル日本(株)  1000倍溶液
・害虫防除       「スミチオン」 (MEP乳剤)日産化学工業(株)   1000倍溶液
・松喰い虫防除     「松グリーン液剤2」(アセタミプリド液剤)日本曹達(株) 100倍溶液

「私 の 宝 物」  淺 田 嘉 美
 旧制能代中学校、(現能代高校)の卒業証書です。
 当時、私は風来坊で登校しなかったが、卒業式の日は登校して、式に参加、終わって教室に入り、担任から一通 り、お話を聞かされ、其の後で卒業証書がみんなに渡されたのですが、「アラ・不思議」。先生のテーブルには、もう「ペーパー」が無いのです。
 そこで担任が慌てて、書いたのがこの証書です。(当時の画用紙に筆の直筆です。)よく見ると、生年月日に誕生日が記載されて居ないのを後で発見して驚いたのですが、昭和一九年二月十六日校舎が焼失した際、学籍簿も焼けたためのものと分かりました。
 不肖【私は昭和十八年十月・出稼ぎに出たのです】
   以 上

H15年4月18日記

「財源」

能代国道維持出張所長 戸嶋 守

 能代バイパス黒松友の会会員のみなさまにおかれましては、全くの手弁当で黒松の剪定に御尽力頂きまして、この機会をお借りしましてお礼申し上げます。我々の国道維持という仕事は、目立たないのが当たり前で、何か管理に不具合が生じたときだけ、世間を騒がすことになります。道路を維持管理するのにもお金がかかります。その財源は、ガソリンスタンドで給油されるときに道路特定財源として納めて頂いているお金を主に充当しております。
 大都会・中央では、車も多いが高規格道路は、もう改築済みで要らないから特定財源率を低く抑えるべきだという意見が多数です。最近はもっと過激にこの財源を全国プールにしないで、地方はそこで集まったお金だけで賄っていくべきで、もう地方にお金を回したくない、と言っています。
 国道が安全で冬でも安心して通行できるように維持していくには、現在並の財源が必要となります。中央のご意見も踏まえて贅沢とならないよう益々コスト縮減に努めて参ります。
 ただ、能代バイパスの黒松は、皆様のおかげでそれほど予算投入をしないで維持できますので、遠方から来られた方には、ここが能代と一目で判るように、また地域の方々からは「自宅の庭の松よりきれいに刈り込んで手が行き届いているな」と言っていただけますよう、末永く手入れをお願いいたします。


編集後記
■前号に続いて小林新吉さんから造詣の深い随筆投稿を頂き、掲載させていただきました。
 事務局で、小林さんが当時たどった道の周辺の写真をインターネットから取り込み、勝手に文中に差し込みさせて頂きました。
 東北のやさしい山の風景とひと味違い、自然の厳しさを感じさせられる山並みの風景に不思議な魅力を感じたのは私だけでは無かったのではないでしょうか?。

■松のオーナーの名簿整理をしていて「代替わり」が若干見られますが、ひとりぽっちになってしまう「松」は今のところないようです。
 松も、手入れしてあげると、うれしさからやはり元気になるような気がします。(大塚講師のおすみつきアリ。)
 春、みなさんが手がけた松は、秋にもふたたびオーナーさんが、バイパスにやって来てくれるのを心待ちにしているはず。
 自分担当の「松」が一番かわいいような気がするのは私だけでは無いのではないでしょうか?。

〒016―0121 能代市鰄渕字家の下19
能代国道維持出張所内 0185―58―2919
事務局 中野 博英
2003年6月30日

〒016−0802 秋田県能代市川反町9−3
電話番号/0185−52−6211・6212(代表)