▼県北の歴史
3)明治の県北

 明治時代に入ると中央集権の府県制度が打ち出され、旧藩領が所属する行政区域は目まぐるしく変わった。
 久保田領は秋田県と岩崎県、南部領の鹿角郡は松代取締所〜九戸県〜三戸県を経て江刺県、由利郡の各藩領は一旦それぞれ亀田県、本荘県、矢島県および山形県の一部となり、明治4年11月にこれらが合併して秋田県が生まれた。
 以後、まずは小坂・大葛(比内町)・阿仁・院内(雄勝町)など県内の代表的鉱山で、技術革新が進んだ。幕末に発見された小坂鉱山では明治6年から外国人技師を招き、同8年に導入した西欧の製錬機械や動力設備は、当時世界の最高水準だったという。
 鉱工業と並んで秋田県内の産業革命を担ったのが、能代の木材業だった。明治30年(1897)、伐採・運材・製材加工のための合資会社が誕生。外国製製材機械を民間としては全国でも初めて大規模に採用し、製材業近代化の先駆けになったといわれる。 鉱業と木材業を柱とする近代県北の産業経済は、その後の鉄道や道路網の整備などで更に発展していった。
 

小坂鉱山事務所


木材を川から引き上げるためのインクライン
(能代市・秋木)


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