▼県北の歴史
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2)県北の街道を旅した人びと |
江戸時代から明治初期にかけて、多くの文人や武士、旅行家などが県北の街道を通っている。 天明8年(1788)、幕府巡見使に随行した古川古松軒は、能代〜荷上場〜小繋〜大館を経て矢立峠を越え、蝦夷地までの見聞を「東遊雑記(とうゆうざっき)」に収録した。 江戸後期の紀行家・菅江真澄は秋田領内くまなく歩いたが、能代や森吉をはじめとする県北各地の様子についても、「雪の道奥雪の出羽路(ゆきのみちおくゆきのいでわじ)」など多くの著作に克明に記録した。 このほか伊能忠敬の「沿海日記」、高山彦九郎の「北行日記」、橘南谿(たちばななんけい)の「東遊記」、吉田松陰の「東北遊日記」などに、幕末までの県北の様子をうかがうことができる。 明治5(1872)年に来満(らいまん)峠越えで大湯に入ったフランス人宣教師マラン神父の「東北紀行」、明治11(1878)年に北日本各地を巡る旅で県北を通過したイギリス人の女性旅行家イサベラ・バードの「日本奥地紀行」も、旧時代の状況と新たな道づくり・国づくりへの息吹を伝えていて興味深い。 美濃(岐阜県)生まれの絵師蓑虫山人は、明治10(1877)年から明治28年にかけ秋田県北地方を中心に青森・岩手を放浪し、数多くの風景画などを残している。 正規の記録が少ない当時の道路や河川の姿を知る上で、こうした旅人たちの紀行文・旅日記は貴重な遺産といえるだろう。 |
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