▼県北の歴史
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1)藩政時代の県北 |
戦国時代末期の県北は、米代川上流域の鹿角地方を南部氏、それ以外のほぼ全域を檜山の安東氏が支配していた。 関ヶ原合戦後の慶長2年(1602)、常陸の佐竹義宣が転封されて秋田入りし、鹿角地方と由利地方を除く羽後全域を治めることになった。 佐竹氏は久保田(秋田市)に城を構え、大館や檜山、横手、湯沢、大曲、角館などの旧城下、南部氏との藩境・十二所、最上氏との藩境・院内などに一門や重臣を配置して、領内の統治体制を固めた。 藩政時代を通じて領内の農業・林業・鉱山開発が進み、特に県北は秋田杉を中心とする豊富な森林資源と数多くの鉱山で藩財政を支えた。 明治維新まで南部領だった鹿角地方は政治的にも経済的にも南部地方との結び付きが強く、尾去沢鉱山をはじめとして、全国に知られた「南部銅」の一大供給地でもあった。 |
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