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歴史

明治時代の水害の様子

明治43年8月、降り出した雨はやがて大きな水害をもたらしました

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バシャバシャと屋根に音をたてて降ってくる雨。夕方からは青白い光と共に、バリバリと大地を引き裂くような、不気味な雷も鳴りはじめました。

「川は大丈夫だろうか。」

気をつけて見ていると、少しずつ少しずつ、川の水は増えてきます。ゴウゴウとうなりながら、勢いよく流れる川。いつ堤防が崩れるか、いつ川の水があふれ出すか、人々は注意しながら見守りました。

日が暮れていくにしたがって、雨はますます強くなり、雷と一緒になって地響きのような音をたてます。おまけに裏の山までがゴーッと鳴りはじめ、まったく生きた心地もしませんでした。

「山崩れだ!逃げろーっ。」

低い所では水が出て危ないからと、山の上の方に避難していたのに、その山が崩れ落ちて、たくさんの人々がその中にのみ込まれてしまいました。お年寄りも若い人も、男も女も、そして子供達までがその犠牲になりました。

「助けてー。」「助けてくれー。」

倒れた家の下から、かすかに声が聞こえます。人々は急いでかけつけて屋根を壊し、したじきになっている人を助け出しました。どこかで火事がおきたらしく、 大きな炎が夜空に向かって吹き上げています。あちこちから、逃げ遅れた人の叫び声が聞こえてきました。

この水害により、鳴子・川渡地区だけでも死んだ人が110人、行方不明になった人は28人、水に流された家173戸、雨や風などで倒れてしまった家158 戸など、これまでにないほどの被害を受けました。あまり豊かではない暮らしをしている人々にとって、この災害はさらに生活を苦しくしました。そのため国や 県ではお金を出したり、道路を直したりして、人々の暮らしを助けていきました。しかし、災害を無くす事業は、まだまだ十分とは言えなかったのです。