・東北地方は過去に幾度となく地震や津波の被害を受けています。
・その被害は甚大で、1896年の明治三陸地震津波では死者が2万人以上にのぼりました。 |
■東北に被害を及ぼした主な地震、津波の被害状況 |
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発生年月日 |
地震名 |
概 要 |
明治29年
6月15日
(1896) |
明治三陸
地震津波 |
【M8.5】津波が北海道より牡鹿半島にいたる海岸に襲来。死者21,959人、家屋流失全半壊1万戸以上。 |
昭和 8年
3月3日
(1933) |
昭和三陸
地震津波 |
【M8.1】津波が太平洋を襲い三陸沿岸で被害は甚大。死者・不明3,064人、家屋流失4,034戸、倒壊1,817戸、浸水4,018戸。 |
昭和35年
5月23日
(1960) |
チリ
地震津波 |
【Ms8.5】日本全体で死者・不明142人、家屋全壊1,500戸余、半壊2,000戸余。
※Ms(表面波マグニチュード):周期20秒付近の表面波の最大振幅から測定した値 |
昭和37年
4月30日
(1962) |
宮城県北部
地震 |
【M6.5】死者3人、建物全壊340戸、半壊1,114戸。瀬峰付近に被害が集中。橋梁・道路・鉄道に被害多し。 |
昭和39年
6月16日
(1964) |
新潟
地震 |
【M7.5】新潟・秋田・山形の各県を中心に被害。死者26人、家屋全壊1,960戸、半壊6,640戸。津波が日本海沿岸一帯を襲来。 |
昭和43年
5月16日
(1968) |
十勝沖
地震 |
【M7.9】死者52人、負傷330人、建物全壊673戸、半壊3,004戸。青森県下で道路破損多し。 |
昭和53年
6月12日
(1978) |
宮城県沖
地震 |
【M7.4】死者28人、負傷1,325人、住家全壊1,183戸、半壊5,574戸。道路破損888箇所、山崖崩れ529箇所。 |
昭和58年
5月26日
(1983) |
日本海中部
地震 |
【M7.7】秋田県、北海道、青森県を中心に被害。死者104人、負傷163人、住家全壊934戸、半壊2,115戸。死者のほとんど(100人)が津波によるもの。 |
平成 6年
12月28日
(1994) |
三陸はるか沖
地震 |
【M7.6】死者3人、負傷788人、住家全半壊501戸。道路、港湾の被害も有り。 |
平成15年
5月26日
(2003) |
宮城県沖
(三陸南)
地震 |
【M7.1】負傷174人、住家全半壊23戸。震源が70kmと深いため、被害は小規模。 |
平成15年
7月26日
(2003) |
宮城県北部
連続地震 |
【M5.3〜6.2】負傷675人、住家全半壊5,085戸。 |
平成17年
8月16日
(2005) |
8・16
宮城地震 |
【M7.2】負傷89人、住家全壊1戸、一部破損849戸。
(マグニチュードは暫定値) |
資料:理科年表2005(文部科学省国立天文台編)ほか
宮城県沖を震源とする地震(第11報) 消防庁
※気象庁による命名が行われていないため、宮城県における呼称を表示(平成17年8月19日現在) |
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▲チリ地震津波後の志津川町 |
▲昭和53年宮城県沖地震により
寸断された幹線道路(仙台市) |
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▲宮城県北部連続地震により
亀裂が生じた三陸縦貫自動車道 |
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電気や水道も道路橋を渡ります |
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皆さんが普段利用している道路橋には、電話、水道、電気など、生活に欠かせないものも渡っています(これらを「ライフライン」と呼びます)。 |
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地震などにより橋梁が損傷すると、ライフラインも切断され、被災時の生活がより一層困難になります。 |
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宮城県沖地震(昭和53年)のライフライン被害と復旧状況 |
(宮城県内の被害) |
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都市ガスの被害 |
供給停止期間 |
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4日 |
供給開始 |
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地震から4日後0.3%復旧 |
地震から27日後ほぼ全面復旧 |
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電気の被害 |
停電戸数 |
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419,000戸 |
供給開始 |
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地震から1日後85%復旧 |
地震から2日後ほぼ全面復旧 |
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水道の被害 |
断水戸数 |
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約7,000戸 |
水道管破裂 |
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250件 |
修繕申込 |
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3,950件 |
供給開始 |
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地震から2日後27%復旧 |
地震から8日後ほぼ全面復旧 |
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道路の被害 |
国道の被害 |
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特に宮城県内の4号、6号、45号、108号及び岩手県沿岸南部の45号に集中 |
被害箇所 |
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167箇所 |
概算被害額 |
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約468百万円 |
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出典:78宮城県沖地震T災害の記録(仙台市) |
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