災害の歴史(洪水)

●カスリン台風:昭和22年(1947年)9月14日
この年の9月は、秋田沖から北海道中部に至る弱い温暖前線と副低気圧の影響を受け、月の上旬から断続的に雨が降っていました。そこに小笠原方面に発生した台風が北上し、次第に本土に近づくにつれ、中部、関東内陸部の副低気圧を吸収し、更に温暖低気圧が強くなったため、台風の湿った空気を加えて大雨となり、15日になると大洪水の危険性は現実的なものとなりました。これがカスリン台風による暴風雨の襲来です。カスリン台風は14日から16日にかけて岩手県、宮城県を襲い、山間部を中心に長雨をもたらしました。


●アイオン台風:昭和23年(1948年)9月15日
カスリン台風が残した被害の爪痕も癒えぬ昭和23年9月。ちょうど一年後、台風襲来のコースもほぼ同じくしてアイオン台風はやってきました。アイオン台風は16日から17日の午後2時迄で、一関雨量観測所にて日雨量245.6mmという局地的豪雨が発生。磐井川の水位が一時間近くに約5mも増水し、復旧工事未着手の磐井川仮堤防を襲いました。前年のカスリン台風より連続雨量も少なく水位も低かったが、被害は大きく上回り死者393名・住宅被害は33,646戸もの被害をもたらし、2年続けての歴史的大災害となりました。


●昭和61年8月洪水
昭和61年8月1日にルソン島の東で発生した台風10号は、南西諸島東海上を北東に進み、4日午前9時には室戸岬南方付近に達しました。台風10号はさらに北東に進み、同日午後9時には石廊崎の南で温帯手気圧に変わったものの、勢力を維持したまま6日午前9時に仙台湾沖に達しました。
宮城県では台風の北上に伴い、4日8時頃から降り始めた雨は5日午後まで降り続き、仙台での降り始めからの雨量は400mmを超えました。吉田川流域では、流域平均300mmを超える降雨となり、吉田川の落合地点では、計画高水位を上まわる大洪水となりました。直轄管理区間4箇所において越水破堤し、甚大な被害が発生しました。その氾濫湛水は10日間以上に及び、排水のため他機関からもポンプ車などによる応援を得ましたが、水稲等の被害は著しいものでした。
吉田川では、この洪水を契機に、昭和61年度から直轄河川激甚災害対策特別緊急事業を実施しました。


●平成27年9月 関東・東北豪雨
東北地方では太平洋側を中心に広い範囲で、雷を伴った非常に激しい雨が降り、宮城県では9月10日夜から11日の朝にかけて記録的な大雨となり、9月11日3時20分に大雨特別警報が発表されました。
鳴瀬川流域の鳴瀬川では、流域平均2日雨量310mmと観測史上第1位、吉田川では、流域平均2日雨量324mmと昭和23年アイオン台風の334mmに次ぐ観測史上第2位、河川水位は鳴瀬川・吉田川の水位観測所15観測所のうち、13観測所で観測史上第1位を記録しました。
吉田川では、堤防の計画水位を超える洪水となり、堤防越水により家屋浸水被害が生じたことから、吉田川中流部で河道掘削を緊急的に行い、再度災害を防止するための対策を行いました。


●令和元年10月 令和元年東日本台風
大型で強い台風第19号の影響により東北地方の太平洋側で非常に激しい降雨となり、10月12日19時50分に大雨特別警報が発表されました。
鳴瀬川流域の6雨量観測所で観測史上1位を記録し、また同流域の16水位観測所のうち11観測所で既往最高水位を観測しました。
鳴瀬川水系吉田川では、33地点で越水・溢水が確認され、10月13日午前7時50分頃には吉田川左岸20.9km付近(黒川郡大郷町粕川字伝三郎)にて堤防が決壊し約5,600haの浸水被害が発生しました。


災害の歴史(地震)


●宮城県沖地震
昭和53年6月12日、17時14分頃、宮城県を中心とした太平洋沿岸を強い地震が襲った。震源地は北緯38度09分、東経142度13分、深さは30km、最大震度5(宮城県仙台市・宮城県石巻市・岩手県大船渡市・福島県福島市・山形県新庄市)、マグニチュード7.4。
気象庁はこの地震を「1978年宮城県沖地震」と命名した。この地震の被害は東北地方全域、関東地方の一部にまで及び、多くの死傷者や家屋被害を出した。また、仙台では電気、ガス、水道などの生活に欠くことのできないライフラインがストップし、市民の生活は長期に渡って不便を強いられることとなった。宮城県内の河川への影響も大きく、北上川、旧北上川、江合川、鳴瀬川、吉田川の堤防や護岸等の河川構造物は甚大な被害を受けた。
宮城県沖地震は現代の大都市を襲った大型地震として、様々な問題と多くの教訓を投げかることとなり、その後の建造、建築のありかたに大きな影響を与えた。


●宮城県北部地震
平成15年7月26日、宮城県北部を震源とする、ほぼ同じ規模の3つの地震が発生した。
1つめは0時13分、矢本町と鳴瀬町で震度6弱、マグニチュード5.6を観測。2つめは7時13分、矢本町、南郷町、鳴瀬町で震度6強、マグニチュード6.4を観測。そして3つめは16時56分、河南町で震度6弱、マグニチュード5.5を観測した。
「宮城県北部地震」と呼ばれるこの地震は、本震と思われた強い前震の後に、さらに強い揺れの本震が発生した特徴的な地震であり、被害は大きかったものの死者は出なかった。 これは、前震で警戒感が高まったためではないかと推測されている。


●岩手・宮城内陸地震
平成20年6月14日8時43分、岩手県内陸南部を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生した。「岩手・宮城内陸地震」と命名されたこの地震により岩手県奥州市、宮城県栗原市では震度6強を観測し、岩手県や宮城県を中心に甚大な被害をもたらした。人的被害は、死者17名、行方不明6名、負傷者426名(平成21年7月2日、消防庁調べ)に及んだ。これらのほとんどが地震で発生した土砂災害によるものであった。
この地震の特徴として地すべり、崖崩れ、土石流、さらに崩壊土砂による河道閉塞(天然ダム)などが多発したことが挙げられる。特に河道閉塞は岩手県一関市及び宮城県栗原市にまたがる栗駒山系一帯で15箇所が確認され、湛水後の越流等により閉塞箇所が浸食されて、決壊または土石流が発生する等の恐れがあったことから緊急的な対策、対応が必要となった。


●東北地方太平洋沖地震
平成23年3月11日14時46分、牡鹿半島の東南東約130km付近(三陸沖)の深さ約24kmを震源として、その地震は発生した。地震の規模を示すマグニチュードは9.0で、平成7年に発生した兵庫県南部地震の実に約1,450倍ものエネルギーである。最大震度は宮城県栗原市で震度7を観測。この日本観測史上最大の地震こそ「東北地方太平洋沖地震」である。世界でも平成16年に発生したスマトラ島沖地震以来の規模となり、1900年以降でも4番目に巨大な地震であった。
東北地方太平洋沖地震は、太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域(日本海溝付近)における海溝型地震で、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの幅約200km、長さ約500kmの広い範囲にわたった。地震により、東北地方及び関東地方の広い地域で多大な人的被害や建物被害、交通機関やライフラインにも大規模な影響が出ただけでなく、地震の発生からおよそ30分後、岩手県大船渡市に津波が到達したのを皮切りに、東北地方及び関東地方沿岸地域に次々と巨大津波が来襲。これが日本災害史上、他に例を見ない未曾有の大惨事を招くこととなった。
津波は最大で海岸から6km内陸まで浸水、岩手県三陸南部、宮城県、福島県浜通り北部では津波の高さが8m~9mに達し、明治9年の明治三陸地震による津波を上回る最大溯上高40.0m(岩手県大船渡市)を記録した。
さらに関東地方の埋め立て地では大規模な液状化現象が発生し、東北太平洋岸では、地盤沈下がおこり浸水被害が長期的に続いている。余震も過去に例がない規模、回数で発生し、最大余震もマグニチュード7.6、最大震度6強であった。また、地震と津波により福島第一原子力発電所事故が発生し、10万人を超える被災者が屋内退避や警戒区域外への避難を余儀なくされた。警戒区域外でも、放射性物質漏れによる汚染が起きているほか、日本の原子力発電所の再稼働問題、電力危機なども発生している。 宮城県、岩手県、福島県の3県では特に大規模な停電や断水、通信障害やガソリン不足等の状態となり、日本全国及び世界にも経済的な二次被害がもたらされた。