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胆沢の地に水を引くための先人達の努力…
胆沢ダムの建設地は、我が国でも最大級の胆沢扇状地の要にあります。また、この地は古くから胆沢扇状地に住む人々の暮らしに関わりの深い場所でもありました。
扇状地である胆沢の大地を開発するためには、山を削り、谷をくぐり、水を引くといった、過酷な土木工事が必要でした。先人達の知恵と努力があったからこそ、東北有数の穀倉地帯として発展した現在の胆沢があるのです。胆沢川の馬留橋直下流を取水口とし、前沢町白鳥地区までの約18kmを結ぶ旧穴山堰は、今から500年ほど前に開削された
胆沢扇状地最古の用水堰です。そのうち平堰(開水路)は、約15km、残りの約3kmが何本かの穴堰(トンネル)になっています。この堰の完成までには長い年月と多くの労働力が必要だったと考えられ、当時の最高技術を駆使して開削されたこの水路は、まさに脅威の土木施設と言って良いでしょう。その後、1500年代後半と1600年代初期に旧穴山堰の下流に胆沢平野の二大用水である茂井羅堰、寿安堰が建設され、穀倉地帯胆沢の骨格が完成したのです。 |
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旧穴山堰は、今から450〜500年前に胆沢川から胆沢扇状地に初めて水を引くために開削されたと言われています。 |
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我が国初のロックフィルダムの誕生…
「胆沢扇状地を潤す水を」と先人達が堰の建設を始めてから約500年、胆沢川は、胆沢平野に営々と水を送りつづけてきましたが、その後も洪水や、干ばつ等の被害が度々発生し人々の生活がおびやかされていました。これに対処するために、昭和28年、我が国初のロックフィルダムである「石淵ダム」が建設されました。人々の喜びは「照れば早魃曇れば出水それも昔の語り草見やれ自慢の石淵ダムはのびる胆沢の底力」と胆沢平野小唄に唄われていることからも解ります。
石淵ダム建設後、昭和32年には円筒分水工が建設され、茂井羅堰と寿安堰の両堰に公平に配水されるようになり、人々の水争いも解消し、この地域は東北有数の穀倉地帯としての地位を確実にしてきました。 |
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我が国初のロックフィルダムとして昭和28年に完成した石淵ダム。戦後から現在に至るまで、地域の発展に欠かせない存在となりました。 |
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昭和32年完成。「茂井羅堰」と、「寿安堰」の両方の堰に水を公平に配水するために作られました。
(平成7年全面改修)
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石淵ダムから胆沢ダムへ…
地域の発展に大きな役割を果たしてきた石淵ダムも、容量的な限界から近年の相次ぐ洪水被害や確実に増加する水需要への対応が困難になってきています。2年に1度は「番水」を実施せざるを得ない実態がその一例です。また、生活用水の需給バランスも崩れつつあるなど、安定した水源の確保が緊急の課題となっています。
このため、昭和63年度から胆沢ダムの建設が開始されました。石淵ダムの約九倍の容量を有する我が国最大級のロックフィルダムを建設し、洪水調節、河川環境保全等のための流量の確保、かんがい及び水道用水の供給、発電を可能としようとするものです。
21世紀初頭には、新世紀の水文化を創造する水がめとして、その姿を現すことになります。 |
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A View Of The Future 〜未来を見つめて〜
胆沢扇状地の水の原点・旧穴山堰、発展の礎・石淵ダム、そして新世紀の主役・胆沢ダム、それらは胆沢扇状地のほぼ同じ位置にあります。これは、永きにわたり胆沢扇状地の人々のくらしにとって、ここが大変重要な場所であり、それは将来も変わることはないことを物語っています。
私たちは、胆沢ダムが胆沢の水文化の新たな一ページを開くという重要な意義をもつ事をしっかりと認識し、このダムの建設に取り組んでいきたいと思います。 |
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