きらめきの先人を知る

 近世初期、伊達政宗の領地であった胆沢郡見分森。現在の水沢市、そしてやがては奥州市となるこの地のキリシタン領主が後藤寿庵だ。生没年とも不明という謎に包まれた人物でもある。キリシタンということで洗礼名はジュアン。
 フランシスコ派東北管区長のアンジュリス・カルパリヨを招いて布教を許可し、居館、天主堂、クルス場などを設けて、古い時代から当地を治める人物の拠点であり続けて来た見分森を、神の福音もたらす地として福原と名称変更している。
 地域における後藤寿庵の功績は、胆沢川の治水事業にあった。その名も寿庵堰。その開通までの尽力と農業用水路の完成は地域に多大な影響を与えたといえる。
 元和九年ごろ、キリシタン禁令が発令されると、これを恐れて逃亡。その最期については諸説ある。また逃亡後の行方についても謎が謎を呼び、多くの寿庵伝説も生まれている。
 そして今日、福原小路の西端にある居館跡に寿庵記念廟堂があり、毎年春と秋の二回開催される「寿庵祭」もここで行われている。秋には市指定の文化財「寿庵神楽」なども奉納される。また昭和五十八年の春の寿庵祭にはローマ法王のバチカン駐日大使も参加、同六十年には後藤寿庵顕彰会が発足した。今でも多様な形で後藤寿庵は胆沢川の流れとともに地域の人たちの心に生きている。

山田次左衛門の墓碑
後藤寿庵の像

 
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