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岩谷堂城跡
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奥州藤原三代の栄華を築いた初代藤原清衡氏の父経清が築いた居館があり、藤原氏滅亡後も葛西氏、仙台藩の重要な城としての役割を果
たしてきました。現在は、岩谷堂市街を一望できる「夢乃橋」が架けられ一帯が「館山史跡公園」として整備され、散策コースとして絶好のポイントとなっています。
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えさし藤原の郷 |
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えさし藤原の郷は、奥州藤原氏の歴史をたどりながら、東北の歴史と文化が体験できるテーマパークとして平成5年6月に完成しました。藤原清衡らの居館豊田館や政庁、伽羅御所、金色堂などが忠実に再現されています。平成14年NHK大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」のロケ地となっております。
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益沢院跡 |
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藤原清衡が60歳の頃、紺紙金銀字交書一切経の奉納を思い立ち、5300巻あまりの写
経を8年がかりで大勢の僧侶に書写させました。その写経所となったのが、ここ益沢院であり、現在の増沢地内にあったと言われています。
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玉崎神社
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由来書によれば、延暦22年(803)坂上田村麻呂が人首丸討伐の祈願をし、天長2年(825)に、鎮守府より神剣が奉納されました。また、この神社は義経北行伝説のコースにもなっており、平泉を脱出した義経主従が道中の安全を祈願するため5日間参籠した際、槍や太刀、経文などを奉納したといわれ、それらが今も社宝として大切に保管されています。
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白山渓 |
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白山橋から上下流を眺めると、古くから白山滝や白山淵と呼ばれ親しまれている景勝地があります。ここには、「竜宮伝説」に似た説話が伝わっています。また、竜宮で機を織る娘から授けられたといわれる「宝晶の玉
」が、ここからほど近い白山皇大神宮のご神体として祭られています。「玉
里」という地名は、ここに由来すると言われています。
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江刺種雄牛管理育成センター
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かつて名牛といわれた「和人」号や「菊谷」号などの血を受け継いだ和牛を、胆江地区の畜産農家に供給する拠点として重要な役割を担っています。
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白山皇大神宮 |
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境内の片隅には、「鏡石」と呼ばれている少しだけ顔を覗かせている岩があり、この岩は白山滝の滝壺に通
じていると言われ、そこに耳を当てると滝の音が聞こえ、さらにこの上に小石を置くと滝の響きで落ちると伝えられています。
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角掛森古塚
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胆沢郡に伝わる掃部長者と佐用姫伝説の中に登場する龍の角が、佐用姫の投げたしゃく伏によって欠け、この森まで飛んできて突き刺さったということから、「角掛森」と名付けられたと伝えられています。飛んできた角は、後に胆沢町の化粧坂の薬師堂に祭られたとされています。また、ここ火石沢には、藤原氏の時代に採掘されたと伝えられる金鉱跡があるとも言われています。 |
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人首城跡
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この城は、いつ頃誰が作ったものかはっきりわかっていませんが、葛西氏の時代、人首如清と名乗る武士が住んでいたといわれます。また、中世には伊達家一族の沼辺氏が居城し、明治維新までの間、南部藩と仙台藩の境を成す北辺の要害として、警護にあたっていました。
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古歌葉金鉱跡
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米里には、いくつかの金鉱跡があり、「古歌葉」「重王堂」「根津葉」などの場所に金山跡が点在していました。古歌葉地区には金鉱跡の標柱が立っており、その付近には露天掘の跡の痕跡を確認することができます。
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