胆沢地方(仙台領)の主な凶作、飢饉年表

文応元年 (1260)
元中9年 (1392)
応永9年 (1402)
元和元年 (1615)
  4年 (1618)
寛永元年 (1624)
  8年 (1631)
  18年(1641)
寛文8年 (1668)
  10年(1670)
延宝元年 (1673)
  3年 (1675)
  5年 (1677)
  8年 (1680)
貞享3年 (1686)
元禄4年 (1691)
  8年 (1695)

  12年(1699)
  15年(1702)
  16年(1703)
享保10年(1725)
  17年(1732)
元文2年 (1737)
寛延2年 (1749)
宝暦5年 (1755)
明和2年 (1765)
  4年 (1767)
安永7年 (1778)
天明3年 (1783)

  5年 (1785)
  6年 (1786)
  8年 (1788)
寛政5年 (1793)
天保3年 (1832)
  4年 (1833)
  7年 (1836)
  8年 (1837)
  9年 (1838)
弘化2年 (1845)
嘉永2年 (1849)
  3年 (1850)
  6年 (1853)
安政4年 (1857)
慶応2年 (1866)
  4年 (1868)
胆沢飢饉
大干魃 凶作
四月から雨降らず、草木枯れる。大凶作、七歳以下の幼児を川に投げる。
凶作。
四月二十五日より雨止まず。大凶作。
胆沢地方気候不順、干魃、大凶作、飢饉となる。
大凶作、飢饉となる。
霖雨低温凶作。
七月九日寒冷冬の如し、諸国飢饉、奥羽特に甚だし。
青立大不作、疫病流行人多く死す。
五月六日から八月初めまで寒冷凶作。
凶作、南部領飢饉。
胆沢地方に赤い雪降る。
大不作。
凶作、南部領餓死者多し。
雨降り続き低温、大凶作。八月二十七日霜降り作実らず
八月二十二日南東、南西の風吹き交り、稲の花残らず吹き散り、これより次第に寒く、
大飢饉。南部領餓死者四万人の多数にのぼる。
長雨、早冷、凶作。
南部領大飢饉。餓死者二万六千人、仙台領大凶作。
大不作。
干魃、凶作。
飢饉。
五月三日より八月まで雨止まず。虫害大発生。稲枯る。
青立大不作。
気候不順、立枯大飢饉。各地に餓死者出る。仙台領三大飢饉の一つ。
干魃。
日照り不作。
降雨続き、半作。
大飢饉、仙台領五六万五二〇〇石損亡、疫病流行、餓死、病死者多数、
その数三十万人にも及ぶともある。仙台領三大飢饉の一つ。
奥羽各地飢饉、仙台領五十万石損亡。
飢饉、仙台領五十三万石滅。
大凶作、仙台領三十一万石損亡。
夏冷え凶作。
霖雨寒冷凶作。
飢饉餓死者出る。仙台領損亡七十五万九千余石。
全国飢饉。仙台領餓死者多く三大飢饉の一つ。損亡九十一万五千余石。損亡高では史上最高。
飢饉、損亡高約六十三万余石。
早冷雨止まず、飢饉、損亡高約八十二万六千石。
飢饉。六十八万石余損亡。
大凶作。
大凶作。損亡約五十九万石。
大凶作。損亡約六十九万石。
飢饉。損亡七十万石。
胆沢青立皆無。
大不作。

※引用文献…「胆沢町史VIII 民俗編1」胆沢町史刊行会 発行