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中善観音
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(レンガ造りの二重蔵)
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およそ300年前の正徳元年に京都で彫刻されたといわれる観音様があり、このレンガ造りの倉庫の中に安置されています。
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秋葉神社 |
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文政5年(1822)に静岡県の秋葉神社を勧請したといわれる神社。大火が多かった岩谷堂では、旧正月24日の祭日に神輿が町内を練り歩く町内最大のお祭りが催されていました。それが、今では「江刺甚句まつり」として、5月3〜4日にまちを挙げて盛大に開催されています。
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中町商店街 |
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蔵のあるまちづくりを進めている中町商店街は、表通りはすっかりきれいに整備され、「黒壁ガラス館」や「キンコン館ぴーちくぱーく」などの観光施設もでき、観光客が訪れるまちになりました。
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蔵前通り |
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別名「親不孝通り」ともいわれ、土蔵を利用したスナックや飲食店がずらりと並ぶ、ユニークな通りです。自動車が通れないのも、好感がもてます。
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六日町 |
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六のつく日に市がたったといわれる「六日町」。江刺市には、この他にも「八日町」「一日市町(ひといちまち)」といった、市にちなんだ町名が多く見られます。
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館山史跡公園 |
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ここは、かつて藤原経清の砦館で、経清の子清衡が誕生した館跡と伝えられています。藤原経清は「前九年の役」で、妻の父である頼時と共に源頼義の朝廷軍と戦い、厨川の柵で敗死しました。そして、清衡は「後三年の役」で清原氏に勝利し、生誕の地江刺に戻り奥羽の覇者となりました。清衡は嘉保年中(1094年頃)平泉に居を移し、平泉藤原源氏の始祖となりました。
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夢乃橋 |
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人首川 |
(ひとかべがわ) |
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およそ1200年の昔、坂上田村麻呂は大和朝廷の命を受け蝦夷征討のため大軍を率いて奥州に攻め下り、延暦20年(西暦801年)、蝦夷の大豪族大墓公阿弖流為を討伐しました。しかし、阿弖流為と一緒に朝廷と戦っていた弟の大武丸の子「人首丸」は、この川の上流にある米里(旧人首村)の大森山まで逃げ延び蝦夷独立のため、命賭けで抵抗を続けました。人首川は、人首丸にちなんだものと言われています。
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明治記念館 |
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明治7年、水澤県の西洋医学の拠点として建設された「旧岩谷堂共立病院」。明治11年頃まで使用され、その後は役場として使用されました。
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