「衣川」という美しい地名の由来には様々な説があります。「上衣川安永風土記」によると、弘法大師が衣川村内にある滝で衣をすすいだため、その場所に「衣滝」という名がつけられたとされるものや、往古高檜能(たかひのう)山の五輪谷上(ごりんだに)に天人が降りてきて羽衣を乾かしたことから起こったという説もあります。
 江戸時代中頃までの衣川は農地に水を引く堰がなかったため、水量が今以上に豊富で、雪解けや大雨の時期には激流となってたびたび暴れました。恐らく大きな岩などもコロコロと音をたてて流れていたことでしょう。そのためか、この地方に古くから住んでいる人の中には「コロガ(衣河)」と発音する人も多くおります。これはコロに「衣」という字が当てられたのではないかという推定によるものですが、なるほどと思わせるところもあります。
 いずれにしても、衣川はその美しい地名のためか、古くから歌枕として多くの歌に詠まれてきました。平安から鎌倉時代までに作られた和歌集の中で、衣川に関係する和歌はおよそ70首もあります。しかし、そのほとんどの歌は、詠み人が実際にこの地を訪れて詠まれたものではなく、史実としてはっきりわかるものは西行法師が詠んだ句だけとされています。
 衣川のなかで注目したいのは一首坂という地名です。この地は前九年の役のとき、安倍貞任を追いつめた源義家が、馬上から「衣のたてはほころびにけり」と下の句を詠みあげ、貞任は「年を経し糸の乱れのくるしさに」と上の句としてつなげたといういわれが残されているところです。現在の一首坂は観光案内や歌碑が作られるなど公園としてきれいに整備され、観光スポットのひとつとなっています。
 衣川の地は、安倍氏から藤原氏の時代まで絶えず戦の舞台となり、闘いにまつわる城柵や古戦場跡なども数多く残されていますが、一方で都人からは憧れの地とされ、歌にまで詠まれた風雅な地でもあったのです。

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Illustration/嶺岸弘行


■監修/阿部和夫
■参考文献/「胆江の地名と風土」阿部和夫、佐藤英男、宍戸敦 共著
      「衣川村史(1)」
      「岩手県地名大辞典」(角川書店)

衣川村「一首坂」
東北自動車道「平泉前沢インターチェンジ」から、国道4号を一関方面へ進み、「瀬原」で右折。「花巻・衣川線」を上衣川方面へ向かい、衣川村役場を過ぎて衣川小学校・中学校が右手に見えてきたところで右折すると、ほどなく右手に一首坂が見えてきます。

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