【特集】 鹿踊りのルーツと独特の装束の謎に迫る


本紙のタイトル「ササラ」は、鹿踊りの装束の一つであるササラにちなんで命名しました。
ところで、鹿踊りは、なぜ?どうして?今日のような形で舞われるようになったのでしょうか。
そこで、今号は鹿踊りのあれこれについて迫ってみました。


自然を敬う気持ちを踊りに込めて
 岩手の鹿踊りは、県北の久慈市や二戸市から県南の一関まで、ほぼ全県に分布する岩手を代表する郷土芸能の一つです。特に、我が胆江地区では盛んで、江刺市は岩手の鹿踊りの代表といっても過言ではないでしょう。
 鹿踊りは、鹿子踊や獅子踊などとも書き、風流獅子踊の一種として鹿の頭をかぶって勇壮に踊るものです。その起源については様々な説があり、特定できません。例えば釜石市の山谷鹿踊では、狩猟で犠牲になった大量の鹿の供養で始められたという説。また江刺市の餅田鹿踊では、猟師である夫の放った猟銃の玉が鹿に当たらないようにと、自ら楯になって死んだ妻の墓の前で、八頭の鹿が柳の枝をくわえて回っていた。その姿を見て感動した夫が鹿の皮を着て供養のために踊った、という説も残されています。さらには、春日明神に起因する説もあり、水沢市のある地区では、香取鹿島の神の使いとして崇敬されていた鹿に扮し、春日大社に奉納した踊りだという説もあります。
 鹿は、神の使いとして古くから信仰の対象とされてきました。ゆえに、山の猟師が鹿狩りをするときその祟りを畏れ、鹿の魂を供養したことから鹿の頭をつけて舞われるようになった、ということなのかも知れませんね。それは、昔の人が、自然に対して深い畏敬の念を抱いていたことの証でもあるのではないでしょうか。



胆江地区だけでも約25の団体が鹿踊りを継承し守り続けている
 鹿踊りは、盆や秋祭りの際に神社の境内や民家の庭で踊られることが多く、五穀豊穣、念仏供養といった祈りが込められています。
 岩手の鹿踊りは、大きく分けて「太鼓踊系鹿踊」と「幕踊系鹿踊」とに分類されます。胆江地区の鹿踊りは、「太鼓踊系鹿踊」に属しています。その特徴は、身につけた太鼓を打ちならしながら囃子に合わせ、8頭〜12頭が一組となり「仲立」と呼ばれるリーダーを中心に、踊りが展開されるというものです。
 岩手県内にある鹿踊りの伝承団体は、およそ150団体にものぼり、胆江地区では主だったものだけでも25団体あります。

■胆沢地区の主な鹿踊りとその継承団体
○江刺市

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岩手県内の主な鹿踊りの分布
参考/淡路人形と岩手の芸能集団(門屋光昭著)
行山流久田鹿踊(行山流久田鹿踊保存会)
江刺市梁川金津流鹿踊(江刺市梁川金津流獅子躍保存会) 
梁川金津流鹿踊(梁川金津流鹿踊保存会)
金津流鶴羽衣鹿踊(鶴羽衣鹿踊保存会)
金津流軽石獅子躍(金津流軽石獅子躍保存会)
行山流地の神鹿踊(上伊手芸能保存会)
伊手金津流獅子踊(伊手金津流獅子踊保存会)
行山流角懸鹿踊(行山流角懸鹿踊保存会)
奥山行山流内ノ目鹿踊
奥山行山流増沢鹿踊(増沢郷土芸能保存会)
奥山行山流餅田鹿踊
奥山行山流鴨沢鹿踊(鴨沢芸能後援会)
奥山上山流歌書獅子躍(歌書獅子躍保存会)
○水沢市
奥野流行山鹿踊
伊藤流行山鹿踊(伊藤流行山鹿踊保存会)
○金ヶ崎町
皆白行山流三ヶ尻鹿踊(三ヶ尻郷土芸能保存会鹿踊部)
奥野流富士麓行山北方鹿踊(北方鹿踊保存会)
奥野流行山細野鹿躍(細野鹿躍保存会)
○胆沢町
狼志田鹿踊
徳岡鹿踊
十文字鹿踊
都鳥鹿踊(都鳥鹿踊保存会)
昼沢鹿踊
前田鹿踊
供養塚鹿踊(供養塚鹿踊保存会)
柳田鹿踊

※参考/淡路人形と岩手の芸能集団(門屋光昭著)
※資料提供・協力/北上市立鬼の館



類希なる美しい鹿踊りをいつまでも
 鹿踊りの装束の最も特徴的とも言える「ササラ」は、一見すると鹿の角のようにも思えますが、頭にはちゃんと立派な2本の鹿の角があります。ですから、「ササラ」は鹿の角ではなく、「腰差し」、「腰竹」、または「ヤナギ」とも言い、おそらくは御幣(神具の一つで、神の結界を示すもの)を象徴していると考えられています。
 装束は全部で約15キログラムもの重さがあり重労働ですが、鹿踊りが舞われるとき、「ササラ」が時にしなやかに、また時に猛々しくうち振るわれるその姿を見ていると、鹿の動きのような流麗さと躍動を感じることでしょう。
 我が胆江地区には、このような勇ましくも美しい踊りがあるのです。鹿踊りは日本のみならず世界にも誇れる郷土の遺産ではないでしょうか。近頃は、郷土芸能の伝承が地域の小学校をはじめ各地で活発に行われていますが、ぜひともこのすばらしい郷土の遺産をいつまでも守り続けていきたいですね。